入院中に無心に刺した
――五十嵐さんご自身がこの刺繍と出合ったのはいつ頃ですか?
ご縁があって久家先生の次男と結婚して子どもを産んだ数年後に、池袋のある百貨店さんから、スウェーデン刺しゅうのリバイバル展覧会のようなものをしたいとご提案いただいて、その時に出合いました。何十年ぶりにスウェーデン刺しゅうを刺した久家先生は、針がすっと通る生地が欲しい!と思いつき、直ぐに生地を発注します。
その布が出来上がってきた頃に私が白血病になり、入院することになりました。久家先生がちょうど、その布で誰か刺してくれる人いないかしらと探していたので、「私、刺します!」といって、それこそパジャマと一緒に刺繍糸と、久家先生が出版された昭和30年代のスエーデン刺しゅうの本を3冊くらい持って入院したんです。
――白血病…。お子さんも小さくて大変だったのでは。
そうですね。でもその頃、なぜか異常に体が疲れやすくて、これはどうしてだろうと思っていたので、やっとその原因がわかって腑に落ちた、というほうが正直なところでした。息子を幼稚園へ迎えに行き、帰りに寄った公園で一度ベンチに座るともう立てないくらい疲れていたので。
病気がわかった時、子どもは幼稚園の年長だったから、お母さん友だちにもたくさん助けてもらって7か月入院しました。丁度退院から5年経つので、この話もしてもいいかなと思うようになりました。
――その入院中に刺繍をして。
毎日刺していました。スウェーデン刺しゅうの針は先が丸く曲がっていて安全だと先生に説明して許可をいただき、ハサミも先が丸いものを持ち込みました。白血病なので、怪我をすると治りにくいから。それで、無菌室は個室だったこともあって毎日治療以外のときはずっと刺していましたね。病院では形にできないので20㎝×20㎝と決めて、描くようにいろいろな図案で。ヨーロッパで見たポピーの花畑のイメージや、息子が当時好きだった鉱石を思い浮かべて刺してみたり。
6回抗がん剤治療をしたのですが、一度だけすごく具合が悪くなった時があって、目をつぶると自分が血管の中にいるような錯覚に陥る夢を見てしまうくらい。その時に刺したものはやっぱりそんな雰囲気になっていますね。
――日記みたいですね。見れば当時のことを思い出しますか?
そうですね。あまりに毎日刺していたからお医者さんにも呆れられたけれど、他にすることもなかったし。あと2か月くらいで退院できそうという頃からは、卒業制作ではないけれど、いろんなステッチで一枚ごとに色を決めて図案を刺していこうと思って作りました。入院中にたくさん刺したので、退院したら本にしたいと思ったんです。でも出版関係の友人から「今時、紙の本を出すのはなかなか難しい」ということを聞いて、自費出版かなと思っていました。
それが、退院して一週間後くらいにたまたまグラフィック社の編集の方が、久家先生が監修した新刊をもって会社にいらして。その本がちょうど懐かしい手芸を扱っているシリーズで、私がその編集者さんに入院中の作品を見せたら「次はこれを本にしましょう」って言ってくださって、その場ですぐ出版が決まったんです。
――それはすごいですね! ちょうど入院中の刺繍が作品集になったのですね。
久家先生も喜んでくださって。「私の跡を継いでこの刺繍をやってちょうだい」と言われました。本のために退院後はサンプラーを刺してステッチも自分で考え、図案化もしました。病み上がりで大変ではあったけれど、これで私は何者かになれる、とも思った。入院中、このままもし私が死んだら、息子は母親が何者だったかわからないなと思っていたので。退院後、突然刺繍の本なんて出せるキャリアはなかったけれど、そのお話をいただいて、「これでやっと、息子に語れる何者かになれるな」とも思ったんです。