
五十嵐富美さんは、スウェーデン刺しゅうの第一人者。
義母で、日本にこの刺繍を広めた故・久家道子さんの跡を継ぎ、数十年の時を経てふたたびスウェーデン刺しゅうの魅力を多くの人に広める活動をしています。
「お家で手仕事をする楽しさを伝えたいです」という五十嵐さんに、お仕事について、スウェーデン刺しゅうについてうかがいました。
スウェーデンのように手仕事が盛んになることを願って
――今現在のお仕事について教えてください。
スウェーデン刺しゅうの講師、作家です。義母の故久家道子のアトリエ久家で刺繍協会の事務作業などの仕事もしています。
――スウェーデン刺しゅうは、他の刺繍とどう違うのですか?
この刺繍は、専用の浮き織りの布に先の曲がった刺繍針で刺していくもので、どちらかというと幾何学的な模様が多いのが特徴です。基本のステッチを組み合わせて1段ずつ刺していくので、小さなお子さんから幅広い年齢層の方が楽しめます。今、小学5年生の息子は幼稚園の年長組の頃から刺していました。
私自身、自由学園を卒業後、卒業生が運営している自由学園生活工芸研究所(以下、工芸研究所)というところで20年以上、織物を担当していたので、この刺繍は織りにも共通する部分があって、性に合っていると思いました。

――針の先がとがっていないのですね。確かにお子さんにも扱いやすそう。
以前は小・中学校の家庭科教材として、多くの子供たちがこの刺しゅうを楽しんだのです。もともとは、久家先生(親族ですが、私にとっては先生です)が20代の頃に、チリで出合った素朴な刺繍を見て思い付いたものです。帰国してから母校自由学園の(義母も卒業生です)工芸研究所の方に相談して、浮き織りの布を繊維試験場に行って織ってもらうところから始めたんです。
布目をすくいやすい針も、ないなら作ろうって。自分で考案して製品化しました。それでステッチを考えて、たくさん本も出し、一大スウェーデン刺しゅうブームが巻き起こったのが1950年代です。

ポーチやブローチなどの小物も
――スウェーデンにも関係のある刺繍なのですか?
いえ、実はそうではないんです。久家先生はスウェーデン人の宣教師のお家でお料理や工芸を習ったことがありました。この刺繍になんという名前を付けようか考えたときに、手仕事がとても盛んなスウェーデンのように、この刺繍で日本でも手仕事が盛んになればと思って付けた名前です。
このネーミングのおかげで、神楽坂にある北欧てしごと教室でワークショップしています。
入院中に無心に刺した
――五十嵐さんご自身がこの刺繍と出合ったのはいつ頃ですか?
ご縁があって久家先生の次男と結婚して子どもを産んだ数年後に、池袋のある百貨店さんから、スウェーデン刺しゅうのリバイバル展覧会のようなものをしたいとご提案いただいて、その時に出合いました。何十年ぶりにスウェーデン刺しゅうを刺した久家先生は、針がすっと通る生地が欲しい!と思いつき、直ぐに生地を発注します。
その布が出来上がってきた頃に私が白血病になり、入院することになりました。久家先生がちょうど、その布で誰か刺してくれる人いないかしらと探していたので、「私、刺します!」といって、それこそパジャマと一緒に刺繍糸と、久家先生が出版された昭和30年代のスエーデン刺しゅうの本を3冊くらい持って入院したんです。

――白血病…。お子さんも小さくて大変だったのでは。
そうですね。でもその頃、なぜか異常に体が疲れやすくて、これはどうしてだろうと思っていたので、やっとその原因がわかって腑に落ちた、というほうが正直なところでした。息子を幼稚園へ迎えに行き、帰りに寄った公園で一度ベンチに座るともう立てないくらい疲れていたので。
病気がわかった時、子どもは幼稚園の年長だったから、お母さん友だちにもたくさん助けてもらって7か月入院しました。丁度退院から5年経つので、この話もしてもいいかなと思うようになりました。
――その入院中に刺繍をして。
毎日刺していました。スウェーデン刺しゅうの針は先が丸く曲がっていて安全だと先生に説明して許可をいただき、ハサミも先が丸いものを持ち込みました。白血病なので、怪我をすると治りにくいから。それで、無菌室は個室だったこともあって毎日治療以外のときはずっと刺していましたね。病院では形にできないので20㎝×20㎝と決めて、描くようにいろいろな図案で。ヨーロッパで見たポピーの花畑のイメージや、息子が当時好きだった鉱石を思い浮かべて刺してみたり。

6回抗がん剤治療をしたのですが、一度だけすごく具合が悪くなった時があって、目をつぶると自分が血管の中にいるような錯覚に陥る夢を見てしまうくらい。その時に刺したものはやっぱりそんな雰囲気になっていますね。
――日記みたいですね。見れば当時のことを思い出しますか?
そうですね。あまりに毎日刺していたからお医者さんにも呆れられたけれど、他にすることもなかったし。あと2か月くらいで退院できそうという頃からは、卒業制作ではないけれど、いろんなステッチで一枚ごとに色を決めて図案を刺していこうと思って作りました。入院中にたくさん刺したので、退院したら本にしたいと思ったんです。でも出版関係の友人から「今時、紙の本を出すのはなかなか難しい」ということを聞いて、自費出版かなと思っていました。
それが、退院して一週間後くらいにたまたまグラフィック社の編集の方が、久家先生が監修した新刊をもって会社にいらして。その本がちょうど懐かしい手芸を扱っているシリーズで、私がその編集者さんに入院中の作品を見せたら「次はこれを本にしましょう」って言ってくださって、その場ですぐ出版が決まったんです。

――それはすごいですね! ちょうど入院中の刺繍が作品集になったのですね。

久家先生も喜んでくださって。「私の跡を継いでこの刺繍をやってちょうだい」と言われました。本のために退院後はサンプラーを刺してステッチも自分で考え、図案化もしました。病み上がりで大変ではあったけれど、これで私は何者かになれる、とも思った。入院中、このままもし私が死んだら、息子は母親が何者だったかわからないなと思っていたので。退院後、突然刺繍の本なんて出せるキャリアはなかったけれど、そのお話をいただいて、「これでやっと、息子に語れる何者かになれるな」とも思ったんです。

誰でも刺しやすいように工夫しながら
――それで本を出版されて、現在のお仕事にもつながっていて。
今は作家というよりは、私自身が元気をもらったこの刺繍をもっと多くの人に広めることをメインでやっていきたいと思っています。お教室もしているし、今年は北海道でもワークショップを開催しました。お呼びがかかればどこへでも行きたいです。
――ワークショップなどでは皆さんどんな反応をされますか?
最初は「出来るかしら」と不安そうにしている方でも、手を動かしてみると1段ずつ出来上がっていくので前向きな刺繍でしょう? それで止まらなくなる(笑)。
教えるときに気をつけているのは、今は特に若い方だとミシンも裁縫箱も持っていない人もいるので、ポーチ型に仕立てたものを持っていって、そこに刺していく方法をとっています。そうすると刺し終えたらすぐに使えるし、達成感もありますよね。

私自身が刺繍は好きだけれど、仕立てるのが得意ではないというのもあって。本当に縫う人からしたら邪道かもしれないけれど、みんなが楽しんで刺せるにはどうしたらいいかなと考えて、こうしています。好評ですよ。
今後は、たとえば講師養成のカリキュラムなども考えて、できるだけたくさんの方にこの刺繍を知っていただきたいと思っています。家でチクチクと刺繍をしている時間て、本当に楽しいですから。
五十嵐富美(イガラシフミ)

自由学園卒業後 自由学園生活工芸研究所・織物部に勤務。
ファイバーアーティストSHEILA HICKS氏のパリのアトリエで学んだのち、母校自由学園で染織を中心に20年間美術指導にあたる。
2009年よりスウェーデン刺しゅうの創始者である久家道子氏のアトリエに勤務。
プチポアンや、スウェーデン刺しゅうに取り組む。
現在はスウェーデン刺しゅうを中心にワークショップを開催。
「スウェーデン刺しゅうの図案帖」(グラフィック社)
お買い求めはこちらから⇨https://atelierkuge.thebase.in/
Instagram⇨@atelier.18
Blog⇨https://atelier18.exblog.jp/
お仕事を成功させるために心がけていることは?
スウェーデン刺しゅうの楽しさが一目瞭然。帽子や服・バッグにして身に着けています。まるで歩くスウェーデン刺しゅうですね。
「それは刺繍?」「刺したの?」と声かけられる事も多いです。
誰でも、せっかく刺した刺繍みんなに見せたい!という気持ちがありますから、それを率先して・・・。(笑)

オンとオフの切り替え方法は?
刺繍する時間が大好きなので、切り替えが難しいですが小5の息子がいるので自然に切り替わります。
作品展などの製作期間は何か月か集中して制作するので、家族には協力してもらっています。時間さえあればいつでもどこでも刺すことができるので、旅先にも必ず持って行き、「旅する刺しゅう」と呼んで楽しんでいます。
今、プライベートではまっていることは?
ここ何か月か刺繍ばかりしていたのですが、作品展をして益々刺したい気持ちになっています。
家族が許してくれたら 1.2週間断食道場に泊まって、何も考えず刺し続けたいです。
あとは作品展でコラボしたボタン作家ちくちくちどりさんの糸ボタンを作ってみたいと思っています。

10年後はどんな風にお仕事をされていると思いますか?
スウェーデン刺しゅうを教えられる方が増えて、その方々と各地でワークショップしていると思います。
私が入院中に、間違いなくこの刺繍に元気をもらったので、長期入院の子供たちやご家族、もちろん大人の方にも定期的にこの刺繍を楽しんでいただける機会を作っていけたらと思っています。
どうすればできるのかまだわかりませんが。
色を選ぶ、迷うことはそれだけで前向きな時間になります。本当にみんな笑顔になっていくのです。
これからの夢は?
スウェーデンの手芸学校の1週間の夏季講座に参加したことがあるのですが、子供たちむけの講座もあって、とっても楽しそうだったので、いつか息子も連れて家族で参加してみたいです。夏は白夜で夜まで明るくて、手仕事は言葉がわからなくてもなんとかなるので、きっと楽しいと思います。
そして私はスウェーデンの子供たちに、「スウェーデン刺しゅう教室」したいですね。
