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私のごきげんな毎日を送るライフスタイルマガジン

ネフリティスの羽根~第三篇

魔法の香り手帖

『ネフリティスの羽根~第一篇』はこちら⇒https://cherishweb.me/40644
『ネフリティスの羽根~第二篇』はこちら⇒https://cherishweb.me/40917

(続き)

2日目の夜が訪れた。

オトヌ館を出たジュブワは、そっと廊下をつたい、用心深く広間へ入った。20年前、確かに翡翠はあのロシア人のロマノフ夫婦が所有していた。ウリエル・ラインハルトはドイツ人。関係がないはずだ。

私はこのリゾート地の不動産売買でロマノフ夫妻と知り合った。既に財を成していた夫妻は、この地で豪奢なオーベルジュを運営しながら、病気がちな子供と一緒にのんびり自然の中で暮らしたいと考えていた。夫妻の信頼を得て、私は共に狩りに出かけたり、食事に招かれる存在となっていった。半年ほど付き合いは続き、翡翠の王冠を見せてもらったのは、満天の星空が輝く夜だった。ベンゾインやトンカビーンが柔らかく甘く香り、暖炉の前で食後にバニラのお茶を飲みながら、夫婦は「あなたに宝物を見せてあげよう」と言って出してくれた。卵型のこんなに大きな天然のものがあるのかと思うほど、素晴らしい翡翠だった。

それから数か月後のことだ。私は大きな不動産詐欺に遭った。この仕事を始めて何十年で初めての出来事だった。事業は大きく傾き、すぐに大金が必要になった。私はロマノフ夫妻に助けを求めた。夫妻は、微力ながら出来ることがあるなら協力したいと言ってくれた。私は翡翠を譲ってほしいと願い出た。翡翠を売れば、私の事業は立て直せる。事業を立て直し余ったお金は夫婦へ渡し、使用したお金も月々ちゃんと返済すると話した。

夫婦の答えは「ノー」だった。翡翠は代々受け継いだもので、お金に変えることはできないと。私は床に額をこすりつけて頼んだが、夫婦の気持ちは変わらなかった。

私は、翡翠を盗むことにした。

知人のベルナールをそそのかし、ロマノフ夫妻の運営する『四季の館』へ忍び込んだ。翡翠は必ず寝室の金庫にあると思っていたが、あったのは現金だけで、翡翠は無かった。覆面をしたベルナールに夫婦を捉えさせ、翡翠の在り処を話せと脅したが、夫婦は一切話そうとしなかった。悲しげなブルーグレーの瞳でじっとこちらを見て、同じく覆面をした私が誰だか分かっていると言わんばかりに涙を零していた。ベルナールの拷問は時間が深まると共に加熱し、夫婦は朝方息絶えてしまった。私たちは焦った。このままでは捕まる。断腸の想いで翡翠を諦め、私たちは館内の金品や芸術品など、金目になりそうな持ち運べるものは全て収集し、館に火を放った。その日、館に宿泊している客も居たが、館は全焼した。新聞では夫婦の暖炉の火の不始末が原因ということだった。

暗闇の中、ジュブワは広間の床に這いつくばり、床を軽く叩きながら空洞が無いか確認することにした。20年前、夫妻を拷問したのは、この広間がある場所だ。彼らはここから離れようとしなかった。広間のどこかに隠しているような気がした。あの時燃えたとばかり思っていたが、ウリエルも翡翠欲しさにこの館を買ったとなると、どこかに存在すると考えて間違いないだろう。

床は非常に冷たい。コンコンと叩き続け、音の違う場所を探す。突如、広間に電話の音が鳴り響き、ジュブワはビクッと身体をこわばらせた。ここに電話なんてあったのか。気づかなかった。暗闇の中、前方に電話と思われる赤いランプが光っている。部屋にもあった子機か?うるさいから電源を切ってやれ。ジュブワは子機を急いで掴んだ。


3日目の朝。広間は不思議なほど静かだった。

パーティーに現れた誘惑のダンシング・クイーンは、炎の中で踊り、あっという間にドラゴンへ姿を変え、火の粉を散らして空中へ去ってゆく。

「終わったことだよ。」

心の中で言ったつもりが、小さなつぶやきとなって沈黙を破る。広間の壁に備え付けらえた大きな暖炉に、神々しく光る翡翠を投げ込もうとした瞬間、空気を切り裂く声がした。

「ウリエル、やめて!」

駆け寄ろうとして崩れ落ちたアニエスを、ラディックが抱きとめる。アニエスは、ハッとしたようにラディックの腕を払うと、立ち上がり睨みつけた。

「ラディックあなたね、私を殴ったの。あの時と同じ香りがする。近寄るまでは分からなかったけれど、今この瞬間に感じたの。目が覚めた時、私はイベール棟だった。傷も綺麗に手当てされていたけど、棟からは出られないよう、鍵をかけられていた。それもあなたがやったことなの?」

「お加減はもう大丈夫ですか?」

ウリエルは翡翠をポケットに入れ、手を後ろに組み、背筋をピンと張った。きちんと束ねられた髪からはサンザシとラバンディンの香りが漂い、白いシーツのような澄んだ清潔感がむしろ不気味だった。

「私からお答えした方が良いですね。あなたを殴ったのも手当てしたのもラディックですが、指示したのは私です。」

「どうして…」

ウリエルは全く感情を読み取れない深い湖のような緑色の瞳で、じっとアニエスを見つめた。

「あなたもご覧になったでしょう?黒焦げを。」

「あれは…ベルナールなの?」

「えぇ。室内だと死体が腐りますから、雪の中で保管していました。それをあなたが見つけてしまった訳です。」

淡々と答えるウリエルは少し嬉しそうにすら見える。

「私がベルナールを見つけて、騒ぐと思って襲ったわけ?」

「それは違いますね。私が黒焦げにすべき人間は2人います。2人終わるまで待っていただかないといけなかったもので。」

「2人って…ジュブワのこと?」

「えぇ。今は雪の中で保管中です。」

ウリエルは食材を保管しているくらいの気軽さで答える。アニエスは背筋が凍るのを感じた。

「私のことも殺すつもり?」

「いえいえ、殺すつもりならとっくに。角材で殴る手間など要りませんから。あなたにはきちんと解っていただきたかったんですよ、あなたのルーツをね。」

※1月24日掲載の次号へ続く


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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