【1545年】
ただ彼を抱きしめたかった。
自分にどれほどの棘があろうと、ただこの手に抱きとめたかった。
私の存在は、後世まで名を残すだろう。いや、むしろ凄惨ゆえに「実在した」とすら思われないかもしれない。なぜ私は生まれてきたのだろう?誰が必要としたのだろう。私は罪人を処刑するために存在する。自分への問いかけはもはや無意味だ。
昼間のように明るい稲光が、闇を切り裂くように聖堂の窓から彼女を照らした。ぬめりと赤く濡れた肌はどこまでも冷たくメタリックだ。鋭い雨音はまだ響き続けている。聖堂の中央に彼女はその身を静かに鎮め、「誰か」が来るのを待った。
薄暗いぼんやりとした蝋の灯りが揺れ、聖堂へ後ろ手を縛られた1人の男が誘導される。髪は乱れきり目は虚ろに潤み、青白い頬に稲妻の光が反射している。きつく噛んだ唇の赤みだけが、彼の「生」を伝えていた。
真実は分からない。ただ、ほのかに百合の香りがする彼がこの城へ来た時から、私は「ここへ来てはいけない。私と出会わないで。」とずっと思い続けていた。それも叶わなかった。
時が来た。
彼女は身体をゆっくりと広げ、軋む金属の音を立てながら彼を抱きしめた。
彼の引き締まった透き通るような白い肌へ、無数の棘を刺す。その時、鉄と百合は初めて融合した。
愛してくれるならば、棘をあげる。
許してほしい、それが私のたった1つの返愛だから。
【1502年】
復讐者はいつだって孤独だ。
心に燃えさかる紫の炎を抱えながら、過去の自分をじっと悼みつづけている。
あの日、彼女は黒い騎士に連れられ出かけ、そこで魅せられてしまった。あらゆる罪を裁く「あるおぞましい道具」のストーリーに。圧倒的存在感と、騎士の言葉巧みな誘いに、彼女は尊敬の意を持って「Yes」と答えた。幼い頃に両親を奪ったあの犯罪者も私が裁くことができる。私は世界の罪人たちに制裁を与える象徴になるのだと。
僕は言葉を尽くしたが喧嘩になるばかりで、悪魔に魅入られたかのように、彼女を止めることはできなかった。
吐く息が白く見える11月の朝。彼女は消えた。
まだほの温かい寝床には、インセンスの香りが漂っていた。
数日後、罪人を問う鉄製の器具が、街のどこかにあるらしいという噂で持ちきりになった。それは若き女性の姿をしており、まるで生きているかのように微笑んでいるのだと。そして不思議なことに、鉄の身体からは菊の花の香りがし、深き淵から裁かれた人を悼むように包むのだと。
きっと、彼女が恋したのは「思想」だ。罪人を許せないというピュアな想い。しかし、その想いは鉄の塊となった。無数の棘を秘めた鉄の身体に。
僕の名は、アンテロス。恋の復讐者。
「思想」への復讐は「意志」しかない。はっきりとした「No」という僕の意志。
こめかみに八角形の香りの銃を向け、白い指でその引き金にそっと引いた。
【1609年】
修道女の祈りは、名もなき無垢な少女たちへ捧げられた。
冷たい床に跪き、彼女は姉の罪を想う。民衆の期待に応えるなんてウソだ。あの人は自分の欲望のためだけに生きている。
冒涜への耐えがたい渇望。厳格な信仰心は「自らの若さを保つことが美」とする彼女の絶対的な思い込みによって引き裂かれた。少女たちの命によって成り立つ美など、この世の終わりではないか。
しかしながら、修道女にとって、幼き頃より姉の存在こそが絶対的だった。太陽のような女性。私の憧れ。私の希望…。
私は神へ身を捧げながら、おぞましく聖域を汚す。
そして今日も、教会へ嘆きに訪れた家無き少女の一人を、そっと地下へ続く階段へ誘う。少女たちを守りたいと思いながら、意識を失わせて鉄の塊に抱かせる。
礼拝堂を静寂が覆う。
雪のようなジャスミンが空から降る。
修道女はじっと、漆黒の十字架を見つめていた。
【掲載製品】
■PARFUMS SERGE LUTENS
「ラヴィエルジュ ドゥ フェール/鉄の百合」(50ml / ¥13,000+税)
「ル・ヴァポリザトゥール・トゥ・ノワール/深き淵より」(30ml×2本 ¥18,000+税)
「ラルリジューズ/修道女」(50ml / 各¥13,000+税)
お問合せ:ザ・ギンザお客さま窓口 tel.0120-500-824
http://www.sergelutens.jp/