魔法の香り手帖

ネフリティスの羽根~第四篇

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(続き)

四季の館が全焼した20年前の夜、10歳の僕は今のプランタン棟にあたる部屋で寝ていた。両親が襲われたとは知らず、息苦しさで目が覚めた。あたりは凄まじい煙の匂いが立ち込めていた。部屋を出ようとしたが、火と煙で進めそうになかった。

僕は非常口から出て、館の外へまわり排気ダクトから再び館の中に入った。このダクトは当時僕の遊び場で、地下の調理場に通じていた。調理場と従業員部屋を抜ければ、広間の一角に出られる。広間の暖炉は2重式になっていて、火を入れる部分の裏に熱を遮断した隠し扉があり、外からは全く分からないが内側から大人ひとり通れるくらいの出口を取り付けてあった。父が作った仕掛けだった。

暖炉の裏から広間へ出た僕は、拷問で黒焦げになった両親の姿を見た。広間を大きく包み込む業火。両親に近づくこともできない。火の入っていない暖炉の中で、何かが一瞬光った。煤だらけの光。手に取り煤を払うと翡翠だった。僕は慌ててポケットに仕舞った。

「坊ちゃん!」

使用人の男が暖炉の裏から飛び出し、僕を抱きしめ地下へ引き戻した。僕たちは地下で震えながら、館が燃え尽きるのを待った。そして夜明け、そっと敷地を離れた。


「私のルーツって?」

アニエスは怒りの気持ちを抑えて聞いた。

「あなたは20年前、この館に宿泊していた家族の生き残りだ。全て覚えていないでしょうが、ご家族は今のエテ棟にあたる辺りの部屋に宿泊していた。ベルナールとジュブワが、エテ棟から火を放ったせいで火のまわりが一番早かった。あなたの家族は逃げられないと分かった時、必死で非常口からあなただけを放り出したのでしょう。そして、あなたは火事のショックで全てを忘れてしまった。」

「私は確かに子供の頃の記憶が無いわ。でも、今の話の証拠にならないでしょ。」

「いいえ、僕自身が証拠です。僕はこの館を運営していた家族の一人息子だ。僕はあの夜、常駐していた使用人のおかげで助けられた。火災は暖炉の火の不始末が原因だと報道されたが、僕はあの夜、燃えさかる火の中、暖炉には火が入っていなかったのを見ている。使用人、いやラディックもね。」

「ラディック…あなたはウリエルの仲間だったのね。」

ラディックは申し訳なさそうに俯く。

「えぇ。私たちは、最後まで計画をやり遂げる必要があった。20年前、私たちは館から逃げるとき、雪の上で倒れているあなたを見つけました。煙を吸い込んだのか、意識が戻らなかった。私はあなたを病院へ預け、意識が戻った後は孤児施設へ行けるよう手配しました。そして、ウリエル様を育てたのです。ロマノフ夫妻は、私にとって命の恩人。託された運命だと思いました。私は誰があの日、ロマノフ夫婦を襲い、火を放ったか知っていました。暖炉の裏で声を聴いていたからです。隙をみて夫婦を助け出そうとしましたが、タイミングが来る前に殺されてしまった。私は坊ちゃんだけでも救わねばと必死でした。両親の変わり果てた姿を前に、坊ちゃんは火に燃えただれる肌に気づかぬほど、茫然と立ち尽くしてらした…。」

アニエスは言葉を失った。両親を助けることもできず、ただ燃えていく姿を見ていることしかできなかったウリエル。必死に私を外へ出してくれた、私の父と母。胸が痛かった。自分が孤児として育ったのは、両親に捨てられたからだと聞かされてきた。違う、本当は愛されていた。両親の願いと共に、雪の中に守られたのだ。見つけてもらえなければ、凍死していただろう。

広間の床に涙がしたたり落ちる。クローブとシナモンの芳香を放ち、遠い記憶が蘇る。初めての雪ではしゃいだ私。手をつないでくれた兄。明日は雪だるまを作ろうと笑っていた父と母。

ウリエルは白い肌を少し赤らめて言った。

「何か思い出されたのですね?愛された想い出があれば、人は強く生きていけるものです。あなたがここに来るよう仕向けたのは私です。この土地を譲り、幼いあなたから両親を奪うことになってしまったことを詫びたかった。」

「ウリエルは何も悪くない。全てジュブワとベルナールの犯罪じゃない。」

「ありがとう。でも私は彼らに、自分の両親がされた同じ拷問をし、身体中を焼いて殺しました。ウリエルという名前。懺悔の天使の名前ですよ。神を冒涜する者を永遠の業火で焼き、地獄の罪人たちを苦しめる天使。私は復讐を遂げました。欲しいものもない、愛する人もいない。最後に私の死体を片付けてくれるラディックへの感謝と、あなたへの謝罪、それ以上に生きる意味がありません。」

そう言うと、ウリエルは暗い銃口を自分の頭に向けた。

「やめて!!!」

アニエスは飛びかかった。


四季の館に新緑の季節が来た。アニエスは窓辺に座り、レモンの樹々の香りを吸い込んだ。

ウリエル、いや本当の名前はロマン。復讐のためドイツ人を装っていたが、本当はロシアの生まれ。彼は今も眠ったまま。私が飛びかかって銃弾は急所を逸れたが出血がひどく、あれから意識が戻らない。戻ったとしても、彼は犯した殺人の罪に問われることになる。倒れた時、ロマンは小声で言った。

「この翡翠を売って、君の恋人を助けろ。この館の事は全て忘れて、幸せになれ。」

思い出せと言ったり、忘れろと言ったり、忙しい人だ。私は迷ったが、翡翠を売ることにした。そのお金で当初の目的だった、恋人に手術を受けさせた。彼は再びステージに立つことができるだろう。そして残ったお金で四季の館を建て替えた。ロマンとラディックが帰ってくる場所を作りたかった。私もこの場所に残り、一緒に館を運営していくことに決めた。

空から翡翠色(ネフリティス)の羽根が舞い落ちる。

正しさと過ちの合間をふわりふわりと揺らぐように。


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著者プロフィール

YUKIRIN
YUKIRIN美容ジャーナリスト/香りのストーリーテラー
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、
香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、
化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。

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