木々の葉が瞼を閉じた森の奥深く。
星たちは間もなく訪れる夜明けに備え、身を震わせながら目を覚ましかけていた。
水辺には少女が一人佇む。焼けた肌と長い手足が水面に映る影をより色濃く染み出させ、自然なまま伸びた柔らかい髪は、時折吹く風に揺れる。
今にも溶けて流れ出しそうな蒼(あお)のグラデーション。静寂が森を包む。
少女はにわかに立ち上がり、空を見上げると星に触れるかのように腕を突き上げ、仰ぐように開いた。
夜明け前だけに訪れる一瞬の沈黙の後、針水晶のようなホーリーウォーターシャワーが勢いよく空から降り注いだ。少女の肌に突き刺さる瞬間、香りに姿を変える。辺りには、地面に落ちてなお輝くクリスタルが散らばった。
香りが地上へ舞い落ちると同時に、少女が兼ね備えた僅かな邪心は空高く舞い上がり、天空のオーラがその罪を暴く。後悔も苦しみも疑念も怒りも、ホーリーウォーターが浄化してゆく。
香りが肌を貫く刹那、その優美な矛先に耽る。
それは、赦しの儀式。恍惚のサンクチュアリ。
木漏れ日は森の中まで届いていた。
彼は刈り取った麦の茎を後ろ髪に絡めたまま、歩みを早める。額には汗が滲む。
今頃、彼女はどんな顔をして光を浴びているのだろう。すらりと伸びた花穂のような背筋、剣(つるぎ)のような強い眼差し、艶やかな唇はキュッと一文字に結ばれ、ひときわ目を惹くブロンド。まるで夏咲きのグラジオラス。
愛しい姿を思い浮かべれば浮かべる程、自分へ全く興味を示さない姿に嫉妬を覚える。目を伏せ、まるでそこには誰も居ないかのように背を向けられる屈辱感。
輪郭は細くまだ若い僕に、大抵の女は向こうから寄ってくる。いつも恋は退屈だ。初めて自分で求めた途端これだ。嘘だろ、焦がれる情熱とはこんなにも熱いものか。身体の真を太陽が焦がすように燃やしてゆく。誰にも彼女を渡したくない。
抜け道のため足を踏み入れた森。水たまりに勢いよく一歩をぶつけると、飛び散る汗と水しぶきは太陽の香りとなり、彼の身体を魅惑的に包み込んだ。その煌めきは自信を高め、誇らしげに胸に輝く。
もうすぐ夏が来る。
グラジオラスの女王よ、君のあえかなる恋心を振り向かせてみせよう。
悶えるがいい。熱を呼び起こすのは僕だ。
彼女は窓枠にもたれ、地平線に蕩けそうな太陽を見つめ、過ぎし日の情熱を思い出していた。いつから私は恋を忘れたふりをしているのだろう。
少しばかり頼りない白い頬に、甘い誘惑の言葉。天性の人たらし。どうしてそんなに巧みなのか、私の心は直ぐに彼に掴まれてしまった。彼と居ればいつでも笑えた。弱点さえも私だけが理解できると思えた。ある夏、彼は私を捨て、去っていった。
心の底から憎めば憎むほど、それは愛情の深さと比例して悔しさが募る。時間をかけ忘れてゆくしかない。空洞な日常を無理矢理生きてゆくしかない。
そうして何年か経ち、私は恋を忘れた。
あれから誰かに強く惹かれることは無くなった。時折蘇る彼との想い出は、まるで恋の亡霊だ。誰も求めなければ、最初から1人。いつしか臆病が落とせないシミのように焦げ付いた。
赤く染まってゆく太陽を見つめいていたら、忘れていた感情は次第にむき出しになり、不意に涙が流れた。旅先で訪れたこの国で、抑えてきた想いが一気に溢れてゆく。私は嗚咽を押し殺しながら涙を流した。今は夕陽のせいにして、彼を想って泣くのはこれで最後にしよう。
窓の外から漂う、美しく澄んだ瑞々しい花の香りが彼女の肩を包み込む。
Sunset Flowers、明日の私に勇気をちょうだい。「愛」をする勇気を。
次の恋はきっと、優しい香りで満ちている。私は、そう信じる。
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