CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日を送るライフスタイルマガジン

この世でいちばん静かな朝

魔法の香り手帖

1

頬に何かが触れて目を開くと、もみの木の枝が重そうに雪を携えて揺れていた。
「何…?」
昨夜は温かいベッドに入って眠ったはず。それなのに、コートを羽織ってマフラーを巻いた私が気づけば雪の上で寝ている。曇った空から、ちらちらと雪は降り続き、顏の上に落ちては流れて消える。静まり返った世界、物音は1つもしない。スイートピーとベルガモットの香りだけが目覚めを促すように漂っている。まるで外界から遮断されたように、ただただ雪が降る。

身を起こしてみると分かった、ここはスノードームの中だ。

「思ったより寒いんだ…」思わず声に漏れて苦笑した。それは雪の中と思えば当たり前のことながら、スノードームの中まで寒いとは。思わずコートの襟をかき寄せて、息を手に吹きかける。その息は黄金色のマルメロとなって雪の上に転がった。もみの木の脇で寒そうに凍えているフリージアに、ふわりとチェックのマフラーをかけてあげると、嬉しそうに頬を赤らめ香りを放ち始めた。

ふいに、汽笛のような音が鳴り、地面が大きく揺れた。思わずモミの木にしがみつく。
直後、祝福のシュプレヒコールのように、音を立ててキラキラとゴールドダストが舞いあがった。薔薇の香りと共に少しづつ地面へ近づきながら踊る。あまりに艶やかで時が止まったようだ。世界中に祝福されているような気がした。

2

冬の朝。ドレッサーに向かい、いつもより少しキラリと光るパウダーを肌へ伸ばす。唇を噛んだようなレッドリップを唇に着せる。首筋と手首に練り香水をすべらせる。
あのスノードームの中で祝福された夢のように、私は毎日にきらめきを装う。
そして、それはいつも香りと共にある。

3


日の出を待たずに、深いジャングルの奥地では何かが蠢き始めていた。
鬱蒼と生い茂る巨大な葉から、雫がセノーテの泉に滴り落ちると、瞬間カルダモンが閃光を放つ。影と気配だけが生きるものの存在を知らせる世界だ。
この土地では、古代から生い茂る聖なる樹<Copal コーパル>が、自身の香りで圧倒的な存在感を放っていた。長い年月をかけ樹から浸みだし固まった濃厚な蜜は、恋の媚薬のように動物たちを惹きつける。
彼は足音を立てないようにそっと歩み寄り、樹を守るようにゆっくりと地面に身を置いた。パチュリとミルラーの香りが大地に根を這わせるように広がる。岩の向こうで得体の知れない動物が悔しそうに身を翻すのが分かる。

「彼女の傍に居たい奴らはいくらでも居るだろう。諦めるんだな。全てにおいて俺には適わない。」

漆黒のビロードのような毛を少し熱くなる呼吸で上下させながら、彼がそっと息を吐くとインセンスとなって空へ舞いあがってゆく。Coaplはその香りを周囲へ拡げるように、葉を震わせる。狂ったように鳥たちは叫びつづけている。
ラピスラズリで出来た彼の左目に、星空が映り煌めく。「もうすぐ祈りの時間だ。」

4

Copalはその身を燃やし、天へと祈りを捧げた。
人類を包むガイア、文明の悟り、赦(ゆる)しの証。

失った右目に、彼女から浸みだした樹脂が入ると、新たな世界が見えた。
炎の神ジャガーは樹のふもとからゆっくりと身を起こす。

まもなく、カリブ海から太陽が顏を出すだろう。トゥルムの静かな朝に。


目の前に伸びる灯りの無い暗い道を辿ると、沢山の黒い物体が道を塞いでいた。横へ動かそうとしても、粘液にどっぷりと浸かっていて離れようとしない。無理に持ち上げようとする声を出して喚き噛みつこうとする。

それは言葉の残像。犯人は私。第8番目の識・阿頼耶識(あらやしき)には、私が発した言葉がまるで古本が重なり合うように置き去られていた。

私が何か言葉を発しようとする度に、残像は邪魔をしたり拍手をしたりめまぐるしく形を変える。時に鋭い言葉を発しようとすると、まるで刃のように尖り、私の横からフェンシングのように突き刺す。温かい言葉を発すれば、穏やかなインセンスフラワーの香りをさせながらふわふわとした雲で包む。

ひとりの少女が、暗い道の向こうで手招きをする。

僅かな光の向こうへ行こうと誘う。私をその場に留めようとする言葉たちが足に枷をし、光の向こうへ連れて行こうとする言葉たちは必至に私を浮き上がらせようとする。まるで天使と悪魔に取り合いをされているように。重い枷を振り切って、私は優しい言葉たちと光の向こうを目指す。もうすぐ出口だ。

5

「いつもありがとう」

そうつぶやいた冬の朝。湯船に白い湯気が立つ。太陽が少しづつ昇り始めた。

6

【掲載製品】
■バーバリー
「マイバーバリー フェスティブ オードパルファム」90ml / ¥14,500+税
「マイバーバリー ソリッドパヒューム フェスティブゴールド」¥6,000+税
「バーバリー ゴールドグロウ フレグランス ルミナイジングパウダー」¥7,400+税
バーバリー お客様窓口(化粧品) tel.0120-77-1141

■AEDES DE VENUSTAS
「Copal Azur Eau de Parfum(コーパル アズール オードパルファム)」
100ml / ¥25,000+税
株式会社セモア tel.03-6753-2753

■NEHAN TOKYO
「言霊と真っ黒な瞳の少女」82g / ¥650+税
「eprience NEHAN」「eprience 1599」各156g / 各¥1,000+税
NEHAN TOKYO tel.03-6433-5589

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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