魔法の香り手帖

蜜喰島

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蜜喰島

蜜喰島

生い茂る草木を腕で払いながら進む。
顔に跳ねる水滴が、汗と混じり合い頬をつたう。



物心ついた頃には父は居なかった。母は奇術の巨匠・松極斎清子の弟子として奇術の舞台に立って生計を立てていた。学校へあがると、自分がクラスメイトと少し違う環境にあることに気づいた。それは“帰省”したことがないという事だった。祖父母の存在を聞いた覚えがない。不思議と聞きづらい空気を感じとっていた。

その母が突然亡くなったのは、つい3日前のこと。師匠の追悼ステージで奇術の仕掛けの事故に遭った。その日は、私の23歳の誕生日を祝う予定だった。

突然過ぎて涙も出ないまま葬儀を終え、夜中一人でぼんやりと母の遺品を整理していた。長年使われた奇術箱を開け、母の手帖を取り出そうとしたところ、突如鈍い音がし二重底が現れた。何か紙が挟まっている。

―“この紙を見ているということは、私はこの世にいないね。箱の底の写真を手掛かりに、蜜喰島へ行きなさい。そこにあなたの父親がいる。赤紫色の果実を見つけても触ってはいけない。父親に守ってもらいなさい。私は奴らに殺される。”―

殺された…?
突如振って沸いた話に漣立つ心をようやく沈め、箱の底から古い写真を拾った。手紙が真実ならば、私もすぐに狙われるかもしれない。まもなく夜が明ける。急いで身支度済ませ私は家を出た。

一般的な地図には『蜜喰島』など存在しない。太平洋で母の地図を頼りに舟を漕ぎ続け、遠くにパープルカラーに光る『島』を見つけた。岩は赤紫色をし、草木も染まっている。入り江では、赤紫の液体が植物から滲み出て、土に落ちる度に白い煙を放っていた。天然毒だろうか。スパイシーでフルーティーな香りがどこからともなく香り立ち眩暈がする。異様な雰囲気だ。

やみくも目の前の原生林を割って進む。誰もいないのに不思議と人の気配がする。1日半がかりで、反対岸へたどり着き、青いアザミの香りが漂う低木沿いの狭い小道を抜けると、ワイルドローズの茂みに覆われた洞窟の入り口が見えた。乾いた土の上、道しるべのように置かれた青いボトル。私は洞窟の奥へ進んでいった。

洞窟にはローズの香りが満ち、奥へ進むほど香りは強まった。真実へたどり着く前触れか、それとも危険を知らせる信号か。ぼんやりとした蝋燭の光、捧げられたブラックフィグ、立ち昇るインセンス。その中に人影がある。

『お父さんなの?』

人影はゆっくりと顔を上げた。鋭い眼光はまだ若々しいが、伸びた白い髭がアンバランスだ。急激に老けたかに見える。

『遂に来たか…。』

そう言って膝から崩れ落ち、慌てて抱き起すと、耳元でこう囁いた。

『私が死んだように大声で演技しろ。そして後ろにかかった布の裏へ運べ。』

私は泣き叫びながら、幾重にも引かれた布の奥へ父を引きずって入った。そこは父が暮らしていたと思われる小さな祠だった。父はサッと身を起こすと、語り始めた。

『お母さんと出会ったのはこの島だ。私は当時数学者で、観光船が流され偶然この島へ辿りついた。ここには未知の果実が存在した。思考を刺激し香りが精神を虜にする。魔法のように気分が高揚し”蜜喰”と呼ばれている。蜜に身体も魂も食われ虜になってしまうのが由来だ。危険すぎて世間に一切出回っていない。中毒性があり人を操ることすらできる。島が赤紫に染まっているのは蜜が時間をかけ地層に染み込み、岩も土も植物も染まってしまったからだ。

お母さんはこの島を治める主(おさ)の娘だった。代々その家系だけが蜜喰の影響を受けない唯一の血筋だ。お母さんの神秘的な美しさに惹かれ、私たちはこの洞窟で逢瀬を重ねた。心に秘めた愛情を解き放つ場所だった。
婚礼をあげ、私たちは夫婦として蜜喰を守っていくつもりだった。そんな時、反乱が起きた。蜜喰が本土で金銀より価値があると知った数人の島人たちが、お母さんの両親を殺し、幾つかの蜜喰を持って本土へ逃げた。お母さんは責任を感じ、生まれて間もないお前を連れて、奴らを追い本土へ渡った。私にこの島を守って欲しいと残して…。』

『お母さんは奇術をして私を育ててくれた。でも先週殺されたの。』

『分かっている。本土でただ一人、全ての事情を知っていたのが松極斎清子だ。彼女はこの島で権力を持つ祈祷師だった。身分を隠しお母さんを支え、清子さんの術により奴らは蜜喰を悪用できずに居た。しかし、清子さんが亡くなった途端、奴らはお母さんへ魔の手を伸ばした。奴らはこの島に戻って全ての蜜喰をわが物にしようと企んでいる。島人たちが守っているが…。』

『島人?』

『気づかなっただろうが、島人はあちらこちらに居る。お前を守るため、ずっと見張り続けてくれていた。』

そうか…だからずっと誰かの視線を感じていたのだ。

『良く聞きなさい。入り江で見ただろう。土に滴る蜜から白い煙が上がっていたのを。蜜喰は引火性がある。だからこの島では一切火を使うことができない。洞窟のさらに奥には、蜜喰の木の根元がある。私はその根を守るために、ここで20年以上暮らしてきた。その根にお前は火を放て。そして放った瞬間にこの洞窟を走り抜け海へ飛び込め。根は導火線となり、島に浸透した蜜喰の液体はガソリンのように作用し爆発するだろう。』

『一緒にお父さんも逃げよう!』

父は目を赤紫色に血走らせた。

『私は島人たちと運命を共にする。なぜなら、蜜喰の影響を直接受ける島人は皆短命なのだ。年々短命となっている。この島に未来は無い。蜜喰は、脳を徐々に溶かしていく。まさに蜜を喰らうかのように。私も既に脳の半分が液化している。だから島を封印する。お母さんの意思でもあるんだ。時間がない。裏切り者たちも道連れにする。さぁ、行け!』

その日、地図に載らないパープルカラーの島が消えた。
海の向こう燃えさかる炎を見つめながら、私は必至に木片に掴まって浮かんでいた。

頬から熱い涙が流れている、その涙は赤紫色をしていた。

【掲載製品】
■リキッドイマジネ
2018年1月27日全国発売
「イレ ポアプル オードパルファム」
「フラーヴ タンドル オードパルファム」
各100mL 各¥25,000+税
株式会社ドゥーブルアッシュ
Tel.03-6427-2369
http://www.doubleh.jp/

著者プロフィール

YUKIRIN
YUKIRIN美容ジャーナリスト/香りのストーリーテラー
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、
香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、
化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。

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