魔法の香り手帖

くちなしにくちづけを

1

リビングから、ショパンのピアノが流れている。切ないけれど大好きな曲。
私はバスタブに身体を沈めながら目を閉じて、様々な物語を想像する。


ディコンが見つめる視線の先には、赤いチョッキを着たような模様のコマドリと楽しそうに話すメアリ。10年閉ざされていた荒れ果てた秘密の花園で、僕とメアリは誰にも内緒で土を起こしたり、種を蒔いたりしている。庭仕事が楽しいのか、病弱だった彼女も、バラ色の頬を取戻し沢山笑うようになった。
僕とここで遊ぶのが一番楽しいと言ってくれた時は、飛び上がりそうになるほど嬉しかった。けしの花みたいに赤い僕の頬が、もっと赤くなったのは気づかれたかな?
でも最近の彼女は、病弱でわがままなコリンのことばかり気にかける。僕たちだけの秘密だった花園のことを打ち明けてもいいと思っているみたい。僕もコリンに見せてあげたいとは思うけれど、彼女がコリンと遊ぶ方が楽しいのかなと少しだけ不安になるんだ。
だから僕はこっそりと、秘密の花園でガーデニアを育てることにした。メイドたちが彼女のベッドに撒く「ガーデニア」という香水からは、くちなしの花と、オレンジブロッサム、そして桃やジャスミン、百合の香りがした。なんて時めく香りなんだろう。
ガーデニアの花が、彼女の頭上に沢山花開いて喜ぶ姿が目に浮かぶ。僕をたくさん褒めて頬にキスしてくれるかも。だから、素敵なガーデニアが育つように、僕は魔法をかけるんだ。


フローレンスは焦れていた。ベッドに座り爪をカリカリと噛みながら、どうしてうまくいかないのだろうと思いを巡らせた。
彼と出会ったのは2週間前。とっても好みという訳ではなかったけれど、話も弾み、連絡先を交換した。その夜、当たり障りのないメールを送り、翌日の夕方当たり障りのないメールが返ってきた。それで終わってしまうのは何だか寂しいと思い、彼との話題に出ていた映画に自分も行きたいそぶりを仄めかしたメールを送った。2日ほど経って、仕事が忙しかったという彼から返信があった。映画について触れてはいなかった。この後私はもう一度映画の話をすべきなのかしら。
いつもそうなのだ。決して厚かましく連絡している訳ではないのに、うまくいかない。女は自分から誘うのではなく、誘われるよう仕向けなきゃと誰かが言っていたけれど、仕向けても誘われない場合はどうしたらいいのだろう?それほど夢中な相手でもないけれど、自分に魅力がないのかと不安になる。
重い気分を変えたくて、昨日買ったばかりのTOCCAの香水を肌にのせた。私と同じ「フローレンス」という名前のオードパルファム。ガーデニアとスミレ、ベルガモットが溶け合うように香る。やがて私の肌の上で、蝶が羽を休めるようにゆっくりと落ち着き、アイリスとウッドの香りへ変わっていった。

2

その時ふと気づいた。私は彼を本当に求めているのではないと。本当に好きならば、彼が何をされたら喜ぶか、好かれたいと素直に思うはずだ。安全圏にいて気持ちを見せず、餌を巻くように彼に誘わせようとしていた。打算が思っている以上に透けていたのかもしれない。きっと愛するから愛される。「愛」を「する」ことを忘れていたから、愛されないのかもしれないと思った。
窓を開けてきれいな空気を入れた。次に出会うのはどんな人だろう。私はきっと「愛」をしてみせる。


時に罪な人は、確かに存在する。自由に生きている姿が人を魅了し、傷つけるつもりは無いのに人を傷つけていく。山猫のようなツンとした表情に、グラマラスな唇。派手な仮面の下のピュアな心。とてつもなくハードな仕事を終えた後、徹底的に自堕落な時間を過ごす女性。欲しいものは全て手に入れようとするひと。
彼女からは、官能的な熟成の香りがする。これが、大人の身につけるくちなしの魔力だろうか。antiantiの「ガーデニア」を裸に纏って眠っていると聞いた。

3

野性的で深みのある香りは、肌の匂いとあいまって止めどもない色気を放出している。あの人の心が彼女に傾いていくのを、ジェンガが傾いて崩れる直前のスローモーションのように感じていた。どうしたって止められない傾斜。奪われたひと時。
それでもなぜか、どこか彼女を嫌いになれない自分がいた。本能のままに生きていることに憧れと諦めを感じるからかしら。それともくちなしの残り香の優しさのせいかしら。


彼が出ていくドアが閉まる音が聞こえそうで、私はバスタブに頭まで「ざぶん」と浸かり、子供みたいに何も聞こえないふりをしようとした。
馬鹿みたい、それで何が変わるというのだろう。彼はきっと新しい自分を彼女の中に見つけただけだ。その世界に私が居ないだけ。
苦しくなって顏を上げ、温かい肌に「スウィートネス ボディ ポリッシュ」を伸ばした。ココナッツ、スウィートアーモンド、二人で出かけた旅先で出会ったタヒチのガーデニアやプルメリアが、甘く優しく浴室に漂う。そっと洗い流した時、私も新しい自分に出会えた気がした。

4

私の肌にくちなしが香り立つ頃、あなたはもう居ないだろう。
そっと唇を自分の右腕に寄せてみる。
くちなしにくちづけを。

【掲載製品】
FLORIS 「GARDENIA Eau De Toilette」50ml ¥9,500+税 / FLORIS(ハウス オブ ローゼ) tel.0120-16-0806
TOCCA BEAUTY「オードパルファム フローレンスの香り」50ml¥9,500+税 / 株式会社グローバル プロダクト プランニング tel.03-3770-6170
antianti organics「ヴィンテージパルファムコレクション/ガーデニア 2011ver.(EDP SPRAY)」¥25,000+税 / アンティアンティオーガニクスtel.03-5464-0930
シファドバイ「スウィートネス ボディポリッシュ」200ml ¥11,000+税 / シファ・ジャパン株式会社 tel.0120-177-480

著者プロフィール

YUKIRIN
YUKIRIN美容ジャーナリスト/香りのストーリーテラー
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、
香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、
化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。

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