CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日を送るライフスタイルマガジン

マスターピース

魔法の香り手帖
ラルチザン パフューム バナ バナナ オードパルファム

バーカウンターの内側で、シュゾンはうつろな目で、行き交う豪奢な身なりの人々を眺めていた。いや、決してうつろな目をしようと思っていた訳ではない。しかし傍からはそう見えた。

今日の演目はなんだったかしら。キャバレーにバレエやサーカス、パントマイムにアクロバット…最近は何でも有りだ。プライドの高いブルジョワジーが集い、紅潮した顔でフォリー・ベルジェールの赤い椅子に座る。気取ったって無駄よ。あっちのバルコニーの男も、前列にいる男も私の客。彼らは退屈で行儀のよい日常を拭い去る熱狂を欲しているだけ。

モーニングコートのうら若き紳士が通りがかり。彼女に目配せをする。先日、森の中でピクニックに呼んでくれた紳士だ。4人で強いリキュールの大きな瓶を飲み干して、かなり酔っぱらった。若い男にとって、怖いのは大人ではなく女の視線だ。ああいう連中は、何も考えなくていいから楽だわ。お金持ちのご子息さん。

次にドリンクをオーダーしにきたのは、明るいまなざしの紳士だった。黄色のバナナコスチュームを身に着けた仲間が背後に居る。ユーモラスながら、どこか洗練された印象だ。

「常に黒服なのかい?」

彼はそう声をかけてきた。私の身に着けている黒のジャケットは、ウエストをキュッと絞ってあり、バストを強調するデザインだ。デコルテは四角く大きめに開いており、彼女の白い肌を際立てていた。

「えぇ、そんなところ。」

シュゾンは小さく答えながら、酒のグラスを差し出した。そっけないと思われてもおかしくない態度だ。それでいい、彼は客だが「客」じゃない。

「君に、私の旅に着いてきてほしいと言ったらどう思うかね?」

一瞬、答えに詰まった。これは仕事と捉えていいの?

「気が向いたら、ここに来てくれ。」

彼は小さく折りたたんだ紙を置いて去った。その紙からは、シュゾンが今まで嗅いだことのない美しい香りがした。バナナやジャスミン、刺激的なペッパーと重厚なアンバー。ほんの少し苦くて、でもミルキーで官能的。急に興味を惹かれ開いてみると。中には住所と地図が書かれていた。仕事だとしたら、オーナーに話すべき?戸惑いながらメモを仕舞うと、ちょうど次の客が来た。好色そうな恰幅の良い男だ。暗号のカクテルを頼んできた。目を合わせることはないが、不躾なまでに見られているのが分かる。いつものこと。

「もう上がっていいぞ。」

オーナーがポンと肩を叩く。バーメイドを上がったシュゾンは、後ろで結っていたブロンドの髪をほどき、念入りにリップを直した。裏口の3番扉の前で、さっきの男が待っている。


その週末、彼女は紳士に貰ったメモの住所を訪ねてみた。住所は実在した。門の中は植物が鬱蒼と生い茂り、そう大きくはない敷地ながら品の良い雰囲気が漂っていた。呼び鈴を鳴らすと使用人が現れ、「聞いております」と通された。聞いている?一体何を?日付の約束も無かったし、今日私が来るとは知らないはずだ。

客間のソファーに腰かけていると、先日の紳士が現れた。今日は変なコスチュームでなく、ボルドー色のシャツに辛子色のタイをしていた。つぶらな目は好奇心に満ちた子供のようで、小粒の歯が薄い唇から見える。

「来てくれると思っていたよ。旅に出る前に間に合って良かった。」

「これって仕事ですか?オーナーに許可をとっているの?」

「いや、仕事じゃない。だから君が着いてくるかどうかは、君次第だ。しばらく休むことになるだろうから、オーナーには君から話した方がいいだろうね。」

「人口170万人のうち、娼婦が何人いるかご存知ですか?登録している娼婦だけでで、12万5千人です。だいたい6~7人に1人がそうってこと。」

「それが何だね?」

「何故私を一緒に旅に誘ったんです?仕事でないのなら、私何もしないですよ。」

「あのバーカウンターで、君のうつろな表情にピンときたからかな。君は、今の自分を好きでも嫌いでもない。過去に後悔も満足もしていない。未来に期待も絶望もしていない。無に見えたんだ。違うかな? 僕は植物を収集している研究家だ。庭を通ってきただろう?植物が好きで、様々な植物を求めて旅をしている。植物は素晴らしいよ。生まれて去っていくまで、とてもドラマティックなんだ。そんな植物を、君と一緒に見に行きたいと思った。私と行ってみないか?」

翌週末、シュゾンは博士と西アフリカの海辺にいた。

ラルチザン パフューム タンブクトゥ オードトワレ

トロピカルフラワーに、パピルスウッド。恋人を虜にする香り。博士は女性として扱うというよりは、助手のようにシュゾンに接した。アフリカの大地で、パリでの毎日が遠く思えた。その香りは、シュゾンがいつの間にか忘れていた知的好奇心を掻き立てた。彼女はとても頭が良く、乾いたスポンジのように知識を吸収した。機転や思考力もある。ただ学ぶということを諦めていたのだ。薄曇った毎日のせいだった。


アンティアトラス山脈の麓の渓谷で、一人の老婦人がタルーダントの城壁に沈む夕陽を見つめていた。灼熱の毎日、涼しい木陰。夕焼けからオレンジブロッサムの香りが空に昇っていく。彼女は古い革の手帖を取り出すと、そのイメージを書きとめ深呼吸した。植物の記憶と、旅の記憶が重なってゆく。

26歳の時、人生が一変した。私はパリで香り創りを習い始めた。植物の魅力を香りに反映させていく。その香りは、富裕層の間で流行し、次々に新作やビスポークを求められるようになった。お金が入ると大半は次の香り創りに費やしたが、元の仕事はする必要は無くなった。誰かの妻になる必要も、娼婦を続ける必要もなくなった。二択の呪縛から解き放たれたのだ。

老婦人は、あの時出会った博士のことを想いながら、目の前に広がる光景をどんな香りにできるだろうと考えた。私の知性を解き放ち、生きがいをくれた人。博士と様々な土地を旅し、私の歴史は積み重なっていった。

香りから想い出が創られ、想い出からまた香りが創られる。
幸せのリインカーネーション。私は博士のマスターピースだ。

ラルチザン パフューム イストワール ド オランジェ オードパルファム

【掲載商品】
ラルチザン パフューム
「バナ バナナ オードパルファム」(100mL ¥21,050+税)
「タンブクトゥ オードトワレ」(100mL ¥17,000+税)
「イストワール ド オランジェ オードパルファム」(100mL ¥19,500+税)
ブルーベル・ジャパン株式会社 香水・化粧品事業本部
Tel.0120-005-130(受付時間10:00~16:00)
www.latelierdesparfums.jp

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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