ジャズシンガーの荒畑佐千子さんは、関西地域を中心に活躍しています。小学校時代にミュージカル映画と出会い、その魅力にすっかりはまったのがきっかけ。ですが「歌を仕事にしようなんて、最初はまったく考えていなかった」と言います。音楽を仕事にした荒畑さんのこれまでを聞きました。
レッスンの生徒は150人
――荒畑さんはジャズシンガーとしてライブをし、またたくさんの生徒さんたちにレッスンもされているそうですが、生徒さんは何人くらいいらっしゃるのですか?
全部で150人くらいです。個人レッスンと、音楽教室、あとはカルチャーセンターで教えています。神戸や大阪が中心ですね。今はジャズシンガーとしてライブもしていますが、最初は教える仕事からスタートしました。その後、縁あってステージで歌わせていただく機会が徐々に増えて、多い時には年間100回くらいライブをするようになりました。
――教えつつ、ライブもしつつでお忙しそうです。小さいころから歌は好きだったのですか?
ずっと好きでした。一番最初のきっかけは映画「サウンド・オブ・ミュージック」を小学5年のときに見たことかな。ミュージカル、いいなと思いました。実は母もずっと音楽が好きで、楽器を弾いたり指揮もしていた人なので、私も4歳からピアノ教室に通い、少し専門的な音楽のレッスンは受けていたんです。お姉さんたちに混ざって作曲専門のコースにも通っていました。今、アレンジができるのはこのころのおかげです。
その後、地元・関西の小学校では演劇部に入って楽しく活動していたのですが、中学には演劇部がなくて美術部や水泳部に入り、最後に体操部に。体を動かすことは好きだった。高校からは東京の学校に進学し、そこでは声楽も習いました。
迷いながらも歌の道に
――その後ミュージカルのレッスンも受け始めたのですね。
高校、短大と東京の学校にいて、短大時代に学校の近くにあったミュージカルスタジオに通い始めたんです。体を動かすことも、歌うことも大好きだったからどうしてもやってみたくて。夏休みも、普段は帰省するのですが、短大最後の夏は東京の叔母の家に残り、アルバイトをしながらスタジオのレッスンに通い、秋の発表会に出ました。神戸から見に来てくれた母が、涙を流しながら「あなたがこんなに続けられるものを見つけて、感動した」と言ってくれて。実はそれまで自分が一つのことを継続できない性格だということにも気づいていなかったので、ちょっとびっくりしたんですが(笑)。
それでもそれを仕事にできるとはあまり思っていなくて。そんな時、バスに乗って外出したときに、車窓からの景色を見て「ちょっと外に出ただけで、まだ私の知らない道や空間がたくさんある。全然知らない人たちもたくさんいる。世間体とか人のためとか、なんとなくのために生きていくのではなくて、もっと自由に、本当にやりたいことをやってみたい」とふと思ったんです。それで、やっぱり今自分が一番やりたいことはミュージカルだからと、地元の音楽の専門学校を受けて短大卒業後に進学しました。
専門学校は本科が2年間で、1年間研究科にいきました。在学中は歌もダンスもレッスンを受けました。ダンスに向いているといわれて、ダンサーになろうと考えていました。が、ある本番中に腰の骨にひびがはいってしまって踊りは断念。でも歌は裏声でしか歌えない。どうしようかと思ってバイトばかりしていた時に、研究科でクラシックからジャズに転向した先生に出会い、発声から教えていただくことができたんです。
――そこからジャズの道へ?
そうですね。でも自分の中で「歌手」って、聖子ちゃんみたいな、可愛くて歌も歌える、というアイドルのイメージがあり、自分はそれには程遠いと思っていました。ただ、ちょうど私が学校を卒業するころに綾戸智恵さんがデビューされて。年齢も40代、かわいいというよりはかっこいい? それまでの歌手のイメージを覆してくれて、「こんなジャンルがあるんだ!」と、私も取り組んでみようと思えました。それで卒業後からフリーランスのシンガーとして、活動をはじめ、今に至っています。結局就職は一度もしていません。
常に教えつつ、自分も習う
――最初は教える仕事からのスタートだったのですね。
そうです。「教える」ということの原体験は、短大時代にスイミングスクールでインストラクターのアルバイトをしたこと。その時とても楽しくて、自分に向いているのかなと思いました。専門学校卒業の2000年ころのカラオケブームで、大人の歌の教室がたくさんできて、紹介していただいて教え始めました。ただ、教えるといっても、私は生徒さんから何かをひき出そうとしているのではなくて、たまたま私のほうが少し長く歌っているから、先生ではなくてお姉さんみたいな感じで、「こうしなければいけません」ではなく「こうしてみたらもうちょっとこうなるのでは」と方法を一つ提案してみる。それでできればOKだし、できなければ違う方法を提案してみる、という感じです。
ご縁があって、 発達障害をもつ中高生にも定期的に教えています。集団レッスンといっても6人くらいですが、みんな音楽が大好きな子たちでとっても楽しいんです。歌のジャンルはいろいろ。まずメロディーをみんなに歌わせて、その間に私がアレンジしてそれを続けて、と。1回歌えばみんな覚えるからすごいですよ。少し前にはやった映画「アナと雪の女王」の「ありのままで」も、関西弁バージョンにしたりとかして歌って(笑)。振り付け考えて踊りも入れたりね。
――ご自分もレッスンを受けられているんですね。
なぜ自分も習い続けるのかと言えば、不安だから。これで完璧!というのはない世界だから常に自分も勉強している感じです。学校出てからずっとフリーランスでやってきて、この仕事にしがみついてきました。いつも不安で、自分には向いていないんじゃないか、と弱気になることもあります。でも、すごく尊敬している先輩たちも、みんなそれぞれ不安を抱えているのを知って、そうか、みんな同じなんだって。ライブも、営業はまったくしていないのですが、ご縁があって続いています。オファーがくれば、認めていただいているということだから、これでいいのかなと思いながらやってきた感じです。
専門学校時代、この道を何度もあきらめようと思った時に、ミュージカルの先生に「まずは5年は絶対続けて。そしたら次の答えがでるから」と言われました。じゃあと、学生時代から数えて5年間音楽を続けたら、教える仕事がきました。次の5年続けたらホテルでのライブの仕事がきました。そこから5年経ったらカルチャーセンターの仕事がいただけました。確かに振り返ると5年ごとに新しい道が開けている。5年続けると次の選択肢が見えてくる感じですね。私にはほかに何もないから、この仕事をするしかない。だとしたら何ができるかって、ずっと考えて試してみて、って少しずつ進んでいくのかなと思っています。
荒畑佐千子(アラハタサチコ)
ジャズシンガー、ボーカル講師
大阪ミュージカルスクール stage21 にて、ダンス・演劇・声楽の基礎を学ぶ。
在学中からジャズに興味を持ち、卒業後徐々にライブ活動を始める。
その後N.Y.で本場シャズに出会い感銘を受ける。
それを機に本格的なジャズを目指し、ジャズボーカルを大畑あき子氏、大森浩子氏、ボイストレーニングを滝川千春氏に師事。
現在の活動は、関西、東京のライブハウス及び著名ホテルにてのジャズライブ。
その他、テレビ・ラジオの出演を含め年間100本以上のステージをこなす中、大手楽器店やカルチャースクールのボーカル講師やボイストレーナーとして指導を行う。
https://ara-ala.com/
お仕事を成功させるために心がけていることは?
歌うことでは、“とにかく楽しむこと”が一番かな。また丁寧に届けること。
教えることでは、生徒さんの今にまずよりそうこと。そして導くこと。
歌がますます好きになるように!そして少しでも上手くなったと実感してほしい。
オンとオフの切り替え方法は?
まず仕事が終わったら、プシュッとビールをあけます! そうすると切り替えになってご飯を上機嫌で作れます笑笑
休日の楽しみ方は?
休日はほとんどないです。空いている時間があれば自分のレッスンに通って師匠方の違う視点からのアドバイスをいただき、心をフラットにします。
酒豪女子会も大きな楽しみかも。
今、プライベートではまっていることは?
プライベートはないに等しいので難しいけれど…… 以前、ビデオに撮りためていて見ていなかった、ドラマなどを見ています。
あとは、美味しいお酒のアテ探しかな。
10年後はどんな風にお仕事をされていると思いますか?
講師の仕事は今のまま、か、もしかするとそれ以上にやっていると思います。
歌う仕事は相変わらず自分の求める歌を探して歌っていると思います。
これからの夢は?
いつか少し休みをとって、短期でいいので刺激を受けに留学したいです。できれば母を連れて。(でも楽しくてゆるいのがいい笑笑)
そして、夢ではなくて50歳くらいまでには一度録音してCDを作ろうと思っています。