CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

イロンデルの恋

魔法の香り手帖

イロンデルの恋

大きく深呼吸をして吐き出した息は、煙突の先まで届くかに消えていった。少女は天(そら)を見上げ、姿を現し始めたばかりの星を愛おしそうに眺める。

「みんな、仲良しでキラキラしていていいな。」

そう呟くと、かじかむ指先にまた息を吹きかけ、小さなトランクから、1つの香りを手に取りそっと吹いた。ベルガモットとブラックペッパーが匂い立ち、少女は目を閉じる。懐かしい香り、父から母へのプレゼント。幸せな想い出。

街はせわしなく、足早に家路へ向かう波がうねる。少女を気に留める人は誰もいない。

一羽の小さな鳥が図書館の屋根から少女を見下ろしていた。アイリスの香りが屋根まで辿り着く頃、目を煌めかせると飛び立った。まるで役目を待っていたかのようだ。そして暫しの間姿を消したかと思うと、少女の頭の上を周回しながら何かを落とした。

それは、ひしゃげた星型のブローチだった。誰かの落としものだろう。少女が一生懸命息を吹きかけて袖でこすると、星は鈍く銀色に光った。大喜びでマントの留め金につける。小鳥は嬉しそうにクルクルと飛んだ。

君はひとりじゃないよ。あの星たちと一緒だよ。


パーティーへ向かう紳士淑女が、馬車を降りてゆく。石畳は彼らの笑い声を反響させ、レディの肩に乗ったバーガンディーカラーのファーを揺らす。

街角に立った少女は、父と母の姿を思い出していた。タキシード姿の父の伸びた背筋、イブニングドレス姿の母の美しい鎖骨。二人腕を組み、笑顔で馬車に乗り込んでいった。

「お父さんたちは出かけるけれど、お手伝いさんに頼んだからね。早く寝るんだよ。」
「明日の朝は、あなたの大好きな甘いパンケーキにしましょうね。」

ナイトウェア姿の私は、二人を笑顔で見送った。もう会えないとも知らないで。

“ママのドレス、キレイだったな。”
少女はうずくまり、目を閉じた。街灯だけが彼女を照らし、白い頬はさらに白く青ざめて見えた。

ポトンと何かが頭に当たり転がった。それは紫色をした丸いファー。驚く少女の肩に、1羽の小鳥が止まる。黒い瞳は利発そうで、まるで以前から親しかったかのように寄り添う。

「鳥さんが、持ってきてくれたの?」

小鳥は、ちょんとファーをつつくと、誇らしげに胸を反らせる。少女がファーを頬に近づけると、ふわりと香りが舞った。それはアイリスと美味しそうな香り。一瞬で母の姿が蘇った。寝かしつけてくれる時の柔らかな匂い、父に内緒で大好きなお茶を一緒にいただく二人だけの午後。

掌にファーを乗せたまま、いつしか少女は石畳の上で横になっていた。小鳥は必死にあちこちからはぎれ布を集め、少女の脚に乗せてゆく。いつしか布地はドレスのように広がっていった。街ゆく人は何か汚らしいものを見るように、通り過ぎて行く。夜が明ける前、小鳥は力尽きて、彼女の横にうずくまった。


僕は夢を見ているのだろうか。
暖かい陽射しの中、緑に囲まれた懐かしいこの場所を自由に飛んでいる。

君はまだ幼い頃だったね。怪我をした僕を小さな両手で包み、母親のところへ運んでくれたのは。衰弱した僕に食べ物を与えてくれ、暫くの間、僕は君の友達だったんだ。

母親が回復した僕を野に放とうとした時、君は大声で泣いた。切りそろえられた前髪に、白く丸い頬。涙でいっぱい顔を濡らしながら「鳥さんまた来てね、ぜったい来てね」って言ってくれたね。

それから僕は、たまに君の家の上を飛んでいたんだよ。母親のピアノにあわせて歌う明るい声、庭から漂うカーネーションとホワイトフローラルの残り香。キッチンからは柚子の匂い。何年か幸せな日々が続いたね。そしてあの日がやって来たんだ。

両親が帰らなくなった後、君がどうしているのか僕は心配だった。沢山の大人が訪れて、君にあれこれ言って去っていった。そして遂に、君はトランクひとつで施設に行く事が決まった。

その足で君は、この街角へ向かった。両親を失ったこの場所へ。それから僕はずっと、君に何をしてあげられるのか考えていた。

あぁ、大好きな君。可哀想な君。僕が出来ることは全てしてあげたい。
叶うならば、一緒に太陽へ向かって飛んで行こう。

君はひとりじゃないよ。


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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