CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

あなたと出会う香りたち

魔法の香り手帖

1

白いシャツをサッと翻し羽織ると、母が用意してくれた細いストライプのネクタイを締めた。まだ何となく慣れない窮屈さ。しかしそれと同時に、これから出会う「仕事」に高まる気持ちを抑えきれず、彼は肩を上下させながら大きく息を吐いた。
僕の第一希望の企業は学生に人気かつ採用数が少なく、また狭き門の割には、筆記テストに面接が1回だけ。面接では自分が入社してできることを自由に話していいと言われた。制作の現場で作品をディレクションしたいという人、たくさんのメディアプロモーションをしたいという人、取引先と一丸となり大きな売り上げを立てたいという人…。みんな夢に溢れた想いを語っていた。僕も小部屋に入るまで夢を沢山語ろうと野心に燃えていた。
しかし、いざ面接の椅子に腰かけて口を開こうとした時ふと、「できること=したいこと」なんだろうかと思った。今の僕にできることはきっとちっぽけで、面接官から見たらさぞかし子供っぽいだろう。だからはっきりと伝えた。
「僕のできることは、きちんと挨拶をすることです。整頓した机をキープすることです。遅刻をしないことです。電話に誰より早く出ることです。そして…やりたいことができる環境に備えて日々自分を成長させることです。」

そして今、僕はその会社へ続く、灰色のコンクリートの上を歩いている。
シャツを纏う前、肌にミストした「L’EAU DU CAPORAL」が、襟元を通って鼻先をくすぐる。数十年前のフランス兵士たちの整然とした行進のように、今の僕もまっすぐに歩いていく。水たまりを踏んだ革靴の横をミントグリーンの水しぶきが舞った。
光が射す扉の向こうに、彼の癖っ毛が消えていった。


瞼に朝日を感じて目覚めると、隣りには彼がいる。
今までそんな日もあったけれど、今日はやっぱり特別。初めて迎える2人の新しい生活。色ならばピュアホワイト、もしくは透明なブルー。そんな朝。

2

私の選んだグレージュカラーのソファーに、彼が選んだファブリックが並ぶ。どこかくすぐったいのは、自分のセンスに新しいエッセンスが組み合わさる心地良さだろうか。
些細な事で小さなケンカもしてしまうけれど、やっぱり彼が毎日居てくれる安心感は絶大。たくさん美味しいご飯を作ろう、いい香りのする温かいお風呂を入れよう、ふかふかのお布団で寝よう。私が彼にしてあげたいシンプルなこと。
部屋にはいつも優しい香りを自然に香らせていたいから、今日はレール デュ サボンの「Innocent Time」を選んだ。頭上でミストして優しく全身に纏ったあと、ファブリックにもひと噴き。フルーティーシャボンの香りが優しく香る部屋で、本を読んだり映画を見たり、今日はゆっくりと過ごそう。
今日は二人の朝が始まる、記念すべき1日。


車を走らせながら、太陽が頬を強く照らしているのを感じていた――。

つんざくような電話のベルで彼は目が覚めた。慌てて受話器を取ると、次の瞬間、身体中の血液が逆流するようにカッと燃えるのを感じた。氷が耳に忍び込んだのかと思った。弱よわしく彼女の声が聞こえたからだ。キャメル色のジャケットを手に取ると、彼は車へ走り出した。
あの日、彼女は理由も言わずに去った。思春期にありがちな大人への憧れ、笑顔の告白。何かに思い悩みながら、それを顏には出さない健気な姿。最初は妹のように思っていた。僕たちはまるで止まっていた車輪がゆっくりと動き出すように、ミリ単位で心を通わせた。彼女の真摯な想いを、いつしか僕は心地よく感じるようになっていた。
その僕の存在を、彼女の肉親は許さなかった。鋭い勘で僕と彼女の心の交流に気づき、汚いもののようになじり、引き離そうと考えた。病的に彼女を庇護していた父親は、彼女を連れて逃げた。また、彼女も父親を捨てることなどできなかった。
つてを頼り、あらゆる方法で彼女を探したけれど、結局見つけることはできなかった。まるで泡のように消えてしまったのだ。あれから1年が経った。
「お願い、とにかく早く来て。」電話越しの彼女の声は震えていた。父親の身に何かあったことは間違いないようだった。一人で何かを起こしたのか、彼女を巻き込もうとしたのか…。
今、僕を突き動かしているのは、サンゴ色の情熱だけだ。傾きかけた日差しの熱く燃えるようなドロリとした想い。振り回されてばかりの愚かな男。でも僕は彼女の元へ走らずにはいられない。君ともう1度出会うため。きっと赤い糸で結ばれた運命だと思うから。

3

シートから香り立つピンクグレープフルーツやマンダリンがスイッチのように、彼はアクセルを踏み込みスピードをあげた。道路には彼の車から掃き出されたオレンジピンクの煙が舞っていた。

【掲載製品】
L’Artisan Parfumeur 「L’EAU DU CAPORAL」 100ml ¥18,000+税 / ラルチザン パフューム表参道本店 tel.03-6419-9373
L’air De SAVON 「INNOCENT TIME-イノセントタイム-」50ml ¥2,500+税 / 株式会社フィッツコーポレーション tel.03-6892-1332
アトリエコロン「ポメロ・パラディ」100ml ¥15,000+税 / 株式会社フォルテ tel.0422-22-7331

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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