夏休みが終わっても、行きたいところはないし、家に帰ることもできない。誰も私に、耳障りな説教をしようともしない。叱ってくれるのはまだマシなんだろうなと、ぼんやり思う。無関心、まるで最初から居なかった子のように。もうすぐ、季節が変わろうとしている。冬は路上に長時間居るのがつらくなるけれど、ここ以外にはどこへも行けない。私たちは、冬が来るのに怯えた、森の迷い子だ。
17歳の私は、家には帰らず仲間たちといつも公園に居た。仲間といっても、年齢はバラバラで、本名や住所をまともに知っている人は誰もいない。でも、私たちにはうまく言えないけれど絆があって、お互いをかばいあったり、食べ物を分け合ったりした。私は、仲間たちの中では珍しく、ファーストフードでアルバイトをしていた。そうして月に10万程度は手にして、食事や交通費、ネットカフェ代にした。食事は多めに買って、仲間たちに分けていた。バイトすらしていない子や、明らかに10代前半の子もいたからだ。
もっと手っ取り早く10代の女の子が稼げる方法はいくらでもある。公園にたまに来る、怪しげな大人たちに志願すればきっとできた。でも私はしなかった。何となく、その壁を越えてはいけないと、自分の中でブレーキがあった。だから、由美子がその仕事をすると聞いた時は、必死に止めた。
「やめときなって。最悪、逮捕される可能性だってあるよ?」
由美子は傷んだ毛先を触りながら、うつむいた。
「でもさぁ、アンタみたいにバイトして1か月で貯まる金が、3日くらいで貯まるんだよ?効率よくない?チップを多めにもらえることもあるみたいだし、短期間でパパっと稼いでさ。それで辞めればいいかなって。」
「短期間でパパっと稼いだ後、地道な仕事に戻れると思う?1時間1000円ちょっとのバイトで我慢できる?もうちょっと、もうちょっとって結局辞められなくなるって。」
「それは自分次第じゃん?私マジで意思固いから大丈夫だって。」
結局、半年後、由美子は秋葉原の店が検挙された際に、勤務していて連行された。表向きは健全な店を装っていたが、客は指名した女の子と会話をするために、30分5,000円で個室とは名ばかりのパーテーションで区切られただけの狭いスペースを使用できた。そこで客は女の子に直接交渉をし、チップ金額の合意が得られればなんでもできた。普通に会話だけの勤務していては一切お金にならず、稼ぎたい女の子たちは際どい交渉にも必死に対応するしかなかった。チップは内容によって1~3万円程度で、3日ほどで10万円稼いでいた女の子もいたそうだ。店の運営側は逮捕され、由美子が未成年だということはすぐに警察でバレ、聴取の後は両親へ引き渡された。
元々、義理の父親の暴力から逃げてきた由美子が、家に戻されたら殴られるのは目に見えていた。家に戻らなくていいように、お金を作りたかったんだろうと私も分かっていたから、彼女が店に勤務することを決めた時、無理矢理止められなかったというのもある。私だって家には戻れない。しこたま殴られるからだ。家に連れ戻される由美子は、どんなに怖かっただろう。殴られた酷い姿でもいいから、何とか戻ってさえ来てくれれば、私が由美子を受け止めて話を聞いてあげたい。そう思っていたけれど、由美子は戻らなかった。父親に蹴り飛ばされて、家の階段から落ちて頭を強打して亡くなった。
あれから2年経ち、私は19歳になった。コツコツ働いて貯めたお金で、狭いアパートを借りることができた。バイト先の店長が、保証人になってくれた。店長は私が家に帰れない事情を知って、ずっと雇い続けてくれていた女性だ。
「うちの職場を続ける気があって、もし正社員を目指すなら、協力するわよ。」
「試験とかあるんですよね?私、学校行っていなくて勉強できないから無理かなって…。」
「試験は確かにあるけれど、もう3年近く真面目に働いてきたわけだし、これまでの働きぶりはちゃんと私から本社に伝えるから、事前に勉強すれば見込みあると思うわよ。何より、月給制になるから安定するし、独り立ちでフリーターも不安でしょ?」
「そうですね…本当にいつも気にかけていただいて、ありがとうございます。はい、挑戦できるなら試験受けてみたいです。頑張ってみたいです。」
私は久しぶりに、あの公園へ行ってみた。去年まで、バイトやネカフェ以外の時は大抵の時間を過ごした公園。家出をした子や、未成年が多くいる場所として騒がれてから、一画は閉鎖された。芝生の上を、子供連れの夫婦たちが過ごす健全な公園になり、たまり場だったベンチも撤去され、当時居た仲間たちも、怪しげな商売へ誘導する大人たちも、みんないなくなった。
ふと、芝生の上に寝転んでみた。目を閉じると、昔、誰かがスピーカーから流していた EDMが聴こえる気がする。踊ったり、歌ったり、語り合ったり、ここに居てもいいんだと思わせてくれた救いの場所。でもあの頃は、誰にも陽の光は射し込まなかった。闇に紛れながらギリギリで生きて、闇に消えていった人もいる。目を開けると眩しいほどの陽の光が、私を照らしている。苦くて甘い、鮮やかで深緑のビロードのように香り、此処に有った真実の姿を暴き出す。
「私は幸せになってもいいの?」
思わず声に出していた。立場が違えば、一つ選択を間違えば、出会う大人が違ったら、私だって闇の中に消えるしか、生きる術がなかったかもしれない。緑の風が吹く中で、私はその正体を知る。運命を飛び越えて、幸せになりたいと願い、行動を起こすタフさだ。強靭な精神力と、善悪を見抜く審美眼。それこそが、生き抜く術、革命を起こす原動力なのだと。
私は、この深緑のビロードの上を、笑顔で歩いてみせる。
なめらかに、しなやかに、失うことを恐れずに。
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