親愛なるあなたへ
今、どこで何をしていますか?
僕たちは、あなたが居た頃を、そしてあなたが去った後の秋の空気を、やわらかでどこか異国へ連れて行ってくれるようなバニラの香りを、僕に教えてくれた言葉を、今でも忘れることができません。でもそれを伝える術がありません。だからこうして、誰も読まない手紙を書きます。
校舎の窓から差し込む光は、優しく揺れています。誰もいない教室に、静かに机の影が伸びて、時間とともにその大きさを変えながら、日々の移ろいを見守っています。
あなたの初々しい姿を、僕たちはみんな、ほほえましく思っていました。慣れないホームルームに、隙の無い授業。まっすぐと生徒を見つめるきらきらした瞳。一緒に卒業までの道を歩いて行けると思っていました。
今だから打ち明けますが、僕はあなたをひそかに慕っていたんです。好きでした。でも、安藤があなたを好きだと言うので、僕は言い出せなくなってしまった。安藤は、中学に入る前からの僕の大事な友達だし、彼の方が成績もいい、見た目だって…僕は自分に自信がない。いつしか気づかぬうちに、安藤に劣等感を抱いていたのかもしれません。
安藤はクラスの人気者で、常に主導権を握っていて、彼に向かって何か言う奴なんていませんでした。いつだって堂々としていて、正義感が強い。そんなところが眩しくもあり、逆に妬む奴もいた。正義感が鼻についた。ただの逆恨みです。
僕はそんな奴らに目をつけられた。安藤には直接手を出せないから、近くにいる弱そうな僕が度々暴力を受けていた。他人から見て分かるような傷はつけないんです。口の中に角のある石を詰めて殴る。口の中は切れて、何も飲んだり食べたりできないくらい痛かった。そんなことが何度も続いたんです。
昼休みに僕がなんにも食べない日が続いているのを、安藤は気づいた。本当に友達想いの奴なんです。安藤は僕に問いただして、僕は奴らの名前やされたことを全部話した。安藤はじっと動かずに話をただ聞いていた。そして最後に「俺のせいで、ごめんな。」とつぶやいた。その時の顔は、青ざめていました。
あなたと安藤が付き合っているという噂と二人が抱き合っている写真が、クラスのチャットルームに貼られたのは、その後すぐでした。僕は凄くショックだった。僕は安藤のために暴力に耐えていた頃、安藤はあなたと楽しく過ごしていたのかと思うと、沸いてくる怒りが抑えられなくなってしまいました。
奴らは言いました。
「ほらな、ヒーローぶってる安藤だって、女教師とうまくやってるんだよ。お前も先生に憧れてたんだろ?残念だなぁ。みんなお前より安藤が好きなんだよ。一生埋まらないお前との差だな。悔しかったら、安藤より凄いことをやってみろよ。」
僕は、匿名の掲示板に書き込みました。安藤の母親は、安藤がまだ小学生低学年の頃、父親の愛人を刺して、今も刑務所にいるって。殺人犯の息子なんだって。事件の後に、この町に引っ越してきたんだって。学校では僕しか知らない秘密でした。書き込みは瞬く間に拡散されて、クラス中に、学校中に広まった。安藤は学校に来なくなりました。
僕は、暗闇の中にいました。安藤を許せないという気持ち、いやそれでも僕のしたことは最低だという気持ち。次第に後悔が雪だるまのように大きくなっていきました。
その朝、僕は重苦しい気持ちで自分の部屋を出て、母親の作った朝食をとっていた。誰からかの電話に出ていた母親が血相を変えて駆け寄ってきました。
「ねぇ、安藤君が同級生殺して警察に出頭したって!あんた何か聞いてる?!」
僕は目の前が真っ暗になった。今…なんて言った?
数日後になって、やっと詳しいことが分かりました。
安藤は、僕に暴力をふるっていたメンバーの中の一人を殴り、そいつが倒れこんだときに石へ頭をぶつけたということを。奴らは4人で、安藤から呼び出しを受けて夜遅く河川敷へ集まったと証言した。そこで言い合いになり、安藤が一方的に殴り掛かってきたと。安藤は何も言おうとせず、奴らの証言が正しいものとされてしまった。僕は安藤と奴らの喧嘩による、不運な事故死だと思いました。心のどこかでは、僕を散々殴った奴の事故死を、あざける気持ちすらあったとように感じます。
驚いたのは、あなたから僕に電話がきたことです。あなたは安藤との写真が原因で、自宅待機の処分を受けていた。「少し話せるかしら」と呼び出された時、僕は不謹慎にも少し嬉しい気持ちがあったほどです。。
久しぶりに会うあなたは、普段着でもとてもきれいで、どこか風が吹くような甘い香りがした。柑橘や、少し海の匂い、品のいい樹木と甘いバニラ。教室でも、ごくたまにふわっと感じていたあなたの香りに、僕は気分が高揚しました。
浮かれている僕と対照的に、あなたは厳しい表情をしていましたね。
安藤の小学生の妹は、母親のことがネットで拡散されてから登校できなくなってしまった。さらに、安藤が事件を起こしてからは家にも居られなくなり、遠い親戚の家に預けられたと、あなたは教えてくれました。僕の気分は一転し、胸が締め付けられました。僕のしたことが、関係のない妹さんまで傷つけたんだ。
ふと、僕はあなたの薬指に指輪が光っているのに気づきました。「あぁ、年上のね、婚約者がいたの。」と言う唇を不思議な気持ちで眺めていました。まさか、安藤とは…?
安藤が、進学をしたいけれど、家庭のことを考えると就職すべきなのではないかと悩んでいたなんて知りませんでした。あなたは、人のいるところを避けて理科準備室で安藤の相談を聞いてあげていただけ。ある時たまたま躓(つまづ)いて、彼に抱きついたような形になった。その写真が誰かに撮られて拡散された。学校には事実無根だと訴えたけれど、その誤解を生む写真が証拠となり、先生は自宅謹慎になってしまった。
僕はバカだ。本当にバカだ。
誤報を真に受けて、安藤を妬む奴らの焚き付けに乗せられて。
僕のしたことは声なき殺人だ。僕がネット上に打った「たった数行」が、結果的に同級生を殺したんだ。これは安藤の殺人でも事故死なんかでもない、僕の卑怯な殺人なんだ。
崩れ落ちた僕に、あなたは言ってくれました。
信じる心を強く持てる大人になりなさい。あなたにはまだ、自分がしてしまったことの重さと懺悔の気持ちがある。それはとても大切なものだと。若さゆえに、気持ちが暴走してしまうことは誰にでもある。それは大人になるにつれて無くしてしまうような強い情熱でもあれば、誰かを必要以上に傷つけてしまう刃(やいば)にもなる。あなたが泣いているのは誰のため?自分のためではなく、他人のために泣ける人間になりなさい。
謹慎の後、あなたは学校を辞めて姿消しました。最初は誤解に抗議したけれど、あなたのクラスで事件が起きてしまったことに心を痛め、責任をとろうと思われたのでしょうね。
安藤は不起訴になりました。僕が、亡くなった同級生を含め、事件現場にいた4名から、日常的に暴力を受けていたと証言をしたからです。また、安藤の個人的な情報をネットに記載した事実を、僕は警察に伝えました。名誉棄損で僕を逮捕して欲しいと言いました。しかし、安藤からの告訴が無い限りは刑事手続きを進めることができないのだそうです。そして、安藤は僕を告訴しませんでした。
僕は安藤にちゃんと謝りたかった。でも、安藤に再び会うことは叶いませんでした。安藤は二度と学校に来ることはなく、妹を連れて引っ越していきました。僕は謝ることで、罪を赦されたかったのかもしれません。
あれから1年。今年も、何でもない顔をして、秋がやってきました。
僕は、僕の罪を抱えながら、大人の色を重ねていきます。自分自身を信じられるように。いつか、他人のために涙を流せるように。
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