CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

美しい僕

魔法の香り手帖

美しい僕

11歳

激しく波が砕け、飛沫となって頬をかすめる。じっと波間を見つめる少年の長い睫毛に、涙が浮かび上がる。エールは、今頃ベッドで眠っているであろう母と男への憎しみで、唇を強く噛んだ。

よくある話だ。エールの父親は大きな借金を残し女と逃げた。母は裕福な家庭に育ったが実家は既に落ちぶれ、身体が弱く働くことは難しかった。ただ美しかったから、複数の男から毎月一定額を受け取り、返済と生活を維持する道を選んだ。男が来る日は決まって、エールは家から出された。

…生きるためだ。時折この断崖に立ちシースプレーを浴びると「何としても生きろ」と諭されている気がした。世界はこんなに美しいのに、何故僕は一人なのだろう。残酷なくらいに気品を備えた深い息吹、そこには海藻やネロリの香りが漂う。日が暮れてゆく。

「生き抜いてやる。」

エールは思い切り深呼吸して空を見上げた。

美しい僕


23歳

弾けるような笑い声、ラプサンスーチョンティーが注がれる音が重なる。

中年女の噂話は尽きない。誰が誰と揉めたとか。そんな時は、にっこりと微笑みながら、ジンジャーブレッドやハニートーストなどを勧める。それで大抵、話の矛先は変わる。

「あぁ、エールは本当美しいわね。」
「気品に溢れるのは育ちがいいせいね。」
「今度はわたくしの家でピアノを弾いて頂戴。」

彼女たちは、僕が母と愛人達をこの世から消したと知ったらどう思うだろうか。透き通るような肌、あどけなさと透明感。それは母が僕にくれた唯一の素晴らしいギフトだ。母が死んだ今も、僕に宿っている。

― エール、あなたが仕組んだんでしょ。私を消しても記憶は消えないのよ。

最期の母の目はそう言っているように見えた。手当を値上げるためパトロンたちの嫉妬心を煽っていた母。ある日”偶然”にもその場に全員が遭遇し、泥沼の罵り合いとなった。母を独占したい一心、誰かが不意に突きつけた銃で男たちは奪い合うように撃ち合い果てた。半狂乱の母は、泣きながら頭を撃ち抜いた。エールは丁寧にガソリンを撒いて、崖まで走って不気味な空を見上げた。海の匂いはいつもより濃い気がした。

美しい僕

美しさだけでなく、エールはシャープな顎や筋肉を備えていた。小柄ながら均整がとれ、どこかの皇太子と言っても通るオーラがあった。美貌を武器に、身分を偽り上流階級に紛れ込んだ。もっとのし上がってみせる。

「母を迎えに来ました。」

突如、ドアの向こうで小さな声がした。シャロン家の婦人が、ソファーから立つ。ドアを開けると、そばかすだらけの地味な女が驚いたように顏をあげた。エールの顏を見ると、カッと頬を高揚させ慌てて下を向いた。

「娘が迎えに来たから先に失礼するわね。」

「ごきげんようマダム。ジュリエット、またね。」

エールが声をかけると、ジュリエットは肩をびくんとさせ足早に去った。

あくる日から、様々な場所でジュリエットに出くわした。明らかに自分に恋しているようだ。女からの視線には慣れている。馬鹿な女だ。資産くらいしか価値がないくせに。

エールは、生活を援助してくれる婦人の一人に会うため、丁寧に髪型を直した。僕が美しいのは今だけだ。あと10年…いや、あと5年、彼女たちを利用しよう。


28歳

レザーソファーの香りに酔いながら白いタキシードの襟を正す。今頃教会には街中の有力者が集まっているだろう。僕はこの街の最高権力を持つブロワ家の後継者と結婚するのだから。

そう、ジュリエット。

大物の私生児とは想定外だった。シャロン家へ養子に出されていたが、昨年ブロワ家の婦人と息子が事故で亡くなり、正式に後継者となった。それなら話は別だ。婚約までは簡単だった。

美しい僕

エールはアイリスの花を胸に挿し、ラベンダーブーケを片手にチャペルへ下りてゆくと、妙に静まりかえっている。おかしいな。扉を開けると、ジュリエットがひとり立つ後ろ姿が見えた。

「客はどうした?」

ジュリエットがゆっくり振り返る。その手には銃が握られていた。暗い銃口がこちらを向いている。

「誰も来ないわ。呼んでいないもの。」

エールは状況を飲み込めないまま、ゆっくり後ずさった。

「動かないで。最初からあなたと結婚する気は無いわ。私は知りたいの、父が死んだ本当の理由を。」

「君の父は生きてるだろ?」

「最近会ったばかりの”父”は生きてる。でも、私にとって父は、子供の頃から一緒だったシャロン家の父よ。ねぇ、あなたの母親なんでしょう。あんなに仕事熱心で実直な父が、母と別れると言い出したのよ。その翌日、父は死んだわ。民家が1軒全焼して、中から父と何人かの死体が出た。その家には複数の男が日替わりで出入りしてたと聞いた。厚化粧の醜い中年娼婦が住んでるからだと、近所で噂だったわ。」

「母は醜くなんかない!」

「そう、やっぱりあなた息子なのね。火事の後、10歳程の男の子が行方不明になってる。最初はその子に会って話を聞きたいと思って探していた。でも、あなたに辿り着いた時、私は徐々疑い始めた。火を放ったのはあなたではないかと。この街で、裕福な婦人が何人も行方不明になってる。あなたの開く茶会のメンバーは、数か月で必ず大金を持って消える。もう婦人たちはこの世にいないんじゃない?」

「確かに僕は息子だが、母に言い寄ってきたのは君の父の方だ。嫉妬に狂い他の男と揉めて死んだだけの情けない男さ。しかし、婦人たちが居なくなった理由は君の空想だろ。」

「今頃警察があなたの家の裏庭を掘り起こしていると思うわよ。
そして私が出来ることはこれだけ。」

光と共に銃声が鳴った。
ラベンダーのブーケは宙に舞い、その澄んだ香りを散布しながら床に落ちた。

美しい僕

―「えぇ、夫は悲しい人なんです。容疑がかかったことを知って、海で入水自殺を。救ってあげられなかった私の責任です、刑事さん。」

済み切った空に、波しぶきが躍動する。
心を砕くように、愛を砕くように。

【掲載製品】
■ラルチザン パフューム
「ビュコリック ド プロヴァンス オードパルファム」
「アン エール ド ブルターニュ オードパルファム」
各100mL ¥19,500+税

「ティー フォー ツー オードトワレ」
100mL ¥17,000+税

ブルーベル・ジャパン株式会社 香水・化粧品事業本部
tel.0120-005-130(10:00~16:00)
http://www.artisanparfumeur.jp/

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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