CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

エリニュスの鱗

魔法の香り手帖

1

―呼び起こされる記憶の断片。
薔薇窓の元、眼下遠く、海から姿を現したいつかの私が見える―

生温かい海風が吹き抜けると、石畳はその色を一瞬和らげた。風はゆっくりと上を目指し、崖の上に佇む灰色の塔へ辿り着く。塔の上には鋼鉄の薔薇窓が鎮座し、港を見下ろしていた。人が出入りしている姿は一切ないが人影が窓辺に映ることがあるとの噂が絶えず、畏れられていた。

ある朝、未だ夜が白み始める頃、薔薇窓は少しづつ右へ回転を始めた。寝静まった街は、その微々たる動きと軋む音に気付かない。窓の隙間から海風をはらんだアロマティックな香りが塔の中へなだれ込む。儚い命を優しい刹那へ変えてくれるような香り。

私の名はアレクト。この塔へ幽閉され何百年の時が過ぎたのだろう。精気を失った私の姿は醜くやつれ、契約により失った声は自分でも思い出せなかった。やっとの思いで開いた薔薇窓から香しい外気を感じることで、こうして正気を保っている。

「誰かあの人に伝えて欲しい。私は必ず生まれ変わると。」
2

アレクトは動かない脚から剥がれ落ちてしまった鱗(うろこ)を薔薇窓の隙間に、1枚づつ丁寧に貼っていった。薔薇窓はいつしか美しい瑠璃色に輝き、神秘の香りを放ち始めた。アレクトは黒曜石のような目を煌めかせて、窓の隙間から薄れてゆく月を見つめた。想いをつなぐのだ。中世から次の時代へ。

その夜、海に潮が満ちる頃、彼女は泡となり、塔から人影は消えた。


ポジターノの入り江で、凛と美しい女がじっと海を見つめていた。
「何と羨ましいのだろう。」つい言葉に出てハッとしたように俯く。私としたことが、嫉妬など醜いことを。

3

双方の家の利益のため生きるのは、私には幼い頃から当然で疑問を持ったことはなかった。親同士の決めた婚姻、相手の男に興味は無い。

あの日「彼を愛している」と私にすがった長い髪の女のことを思い出す。誰かを愛することができる「自由」を持っている女。嗚呼、羨ましい。縛られることなく、己の望みのままに生きていけるなんて。私は愛の無い婚姻をし、自由とは無縁に生きていくしかないなんて!

「メガイラ様、もう中へお戻りください。」

ふと、城から彼女を呼ぶ声が聞こえ、そっと立ち上がる。
メガイラは庭園の入り口に立ち、大きく息を吸いこんだ。島の木々から零れるようなシトラスの香りが鼻先をくすぐる。足を踏み入れると、ビターオレンジとバジルの苦みが、彼女の足音に沿って強弱をつけ舞う。白い柱にわざと薄衣の裾をはためかせながら歩いた。

4

庭園を歩く詩人たちが、メガイラとすれ違いざま、そっと呟く。

-願いを叶えるため何かを犠牲にしながら、
それでも人は不死鳥のように強く美しく立ち上がるのです―

私が家のために自分の生涯を犠牲にするように、あの女にも何か払った犠牲があるのかもしれない…。そう思った時、ある決意が胸を占めた。
そうだ、この家は私が一人で守っていこう。男に頼るだけが女ではない。自分のことを愛することができれば、いつか誰かを心から愛せるかもしれないから。

庭園に吹く海風は、祝福のように彼女の白いドレスを舞い踊らせた。


近代的な船が立ち並ぶ港。ウッドデッキに佇む影は、片手にしたグラスからボルゲリ産のレモンとオレンジのジュースを飲み干すと、白い車に乗り込み木立の中を進んでゆく。

この街には古い遺跡が多く、港近く崖の上には、まるで灯台の如く街を見守る塔があった。それは祈る女のような形に崩れているが、美しい薔薇窓が太陽に煌めいて美しい名所だ。

並木道を抜けると、私のシャトーが見えた。ジャスミンと百合の花が芳香を放つ庭園を通り過ぎ車を降りると、出迎えた彼と頬にキスをし合う。家を守るため一生をビジネスに捧げた母の残した僅かな資金を元手に事業を起こし随分と時間が経ったが、今は素晴らしい人生のパートナーに恵まれ、満ち足りた人生を歩んでいる。

しかし、何故だろう。
海風の香りを吸い込むと、不意に優しい切なさを感じるのは。

港へ出るといつもそうだ。何かを思い出しそうになる。つらいことがある時は、いつも港へ来てしまう。生きていれば、手痛い裏切りに遭うことも、醜い嫉妬の感情に打ちのめされるようなこともある。それでも生きていることが大切なのよ、母の声がこだまする。

「エリニュス、何か落ちたよ。」

車から降りた時に、地面にパラパラと散らばった欠片を彼が拾って、私の手に乗せる。それは鱗だった。一体いつの間に?

瑠璃色に光る鱗は、愛の記憶。
私を美しい未来へ導いてくれるような気がした。

5


【掲載製品】
ANGELA CIAMPAGNA 「HATRIA(アトリア)」オードパルファム 100mL ¥25,000+税 / 株式会社大同 tel.03-3666-3125 ※2016年9月1日(水)発売

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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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