CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

雪解けのラビリンス

魔法の香り手帖

1

荒れ狂う雪の中、彼女は必死に凍える道を歩いていた。
辺りは薄暗く、目を開いていられないほど強烈な風が吹き付け、金色の髪は空へ引き上げられる。吹雪は呪詛のように彼女に囁く。

「もう彼のことなど忘れてしまえ」

カイが居なくなってから1週間が過ぎた。
彼といつも過ごした美しいハーブガーデンで、何かが急に彼の眼に落ちてきた時から全てがおかしくなった。優しい彼は消え、鋭い言葉を吐き暴れ続けた。来る日も来る日も、花をちぎり、庭を壊した。

最初は叱ったりなだめていた人たちも、そのうち何も言わなくなった。だんだんと諦めていった。彼は変わってしまったのだと。そうして「無関心」が生まれた。ある朝、彼が居なくなったことに誰も気が付かなかった。

私は違う。「痛っ」と彼が小さな声をあげ、眼を抑えた瞬間を見ていた。あの時から、何かが始まった。強い意志を秘めた何かが。だから私は彼を探さずには居られない。そして、この雪の向こうに、彼は居ると信じている。

凍えて感覚を失った手に息を吐きかけると、その息からスイートピーやミュゲ、ホワイトイリスの香りが舞った。息をはらんだ白い雪は、パステルカラーに色づいてゆく。雪たちは突然の香りに喜び、ふわりふわりと踊り始め、少しづつ彼女の前にアーチを作り始めた。雪のアーチができると、その遥か先にそそり立つ灰色の城が見えた。

「大丈夫、きっと会える。」

小さな雪の花が彼女の心の中に咲いていた。

2


凍った床と、彫刻のように固まった動物たち。その横を通りながら、僕は静かに王座の横に座る。あれからどのくらいの時が過ぎたのだろう。寒さ、冷たさ、痛み…何も感じなかった。あの日、僕の眼に何かが入った時から全ての感覚は止まっている。

ずる賢そうな顔をした白いキツネが、女王のご機嫌を伺いながら”おべっか“を言う。僕には馬鹿にしたような態度をとるので、大きなしっぽを一度引っ張っておどかしてやろうと後をつけてみることにした。

辺り一面真っ白に、重い雪が積もる宮殿の庭。用心深くキツネは庭の隅へ歩いて行き、誰も見ていないと安心したのか(僕は見ているけれど)、雪を払ってその下から小さな木箱を取り出した。
「あぁ、これが女王に見つかったら大変だ。」
そう呟きながらニヤリとして、また丁寧に雪をかぶせ去ってゆく。

3

彼が去った後、僕は同じ手順で木箱を取り出し蓋を開けた。
その途端!溢れ出すようなスパイシーなハーブの香りに包まれ、光輝く香水たちが現れた。

香りと共に、僕は色々な物を思い出した。弾けるようなレモン、パセリとトマトの葉、苔の匂い、可憐なすみれ、熟れたキャロット、澄んだセージとラベンダー…。あの庭の匂い。僕たちのハーブガーデン。そうあの庭には、もう一人誰かが居た。温かいお日様のような誰か。もやがかかったようにぼやけ、誰だか思い出せない…!

「カイ!どこに居るのだ?」

女王の声が響いて僕の記憶に蓋をした。ふと我に返る。
僕は5つの香水をそっと丁寧に胸ポケットに仕舞い、どこまでも白く凍えた宮殿の中へ戻っていった。

「大丈夫、きっと会える。」

僕が忘れた誰かは、きっとこの香りの向こうにいる。

4


女王は細い指先で、カイの髪を丁寧に梳かしていた。柔らかな髪からオレンジブロッサムの香り。ようやく眠りについた。
それは、他国へ雪を降らせにソリを飛ばしていた時だった。あの子に良く似たカイを見たのは…。ほがらかな笑い声、白い肌、栗色の髪。まるで、あの日失った私の子供。

彼の目に悪魔の鏡の破片を落とした。破片が目に入ると、彼は全てを忘れて私の元へやってきた。こんな日は長く続かないだろう。けれどあの子に良く似たカイと毎日生きられるのなら、人さらいと言われても構わない。

ある朝、城の門が開く大きな音で目が覚めると、重く冷たく分厚い氷の扉を、何かの強い力が押し開こうとしていた。私は扉に駆け寄り、凄まじい吹雪を指先から浴びせた。しかし、どんなに強い吹雪を吹きかけても、少しづつ扉は開いてゆく。抗えない巨大な力が雪の結界を破った。

扉が開くと閃光が射しこみ、私の身体は固まり氷像となった。一人の女の子が走ってカイに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめる。

「カイ、私のこと思い出して!」

女の子はポロポロと涙を流し、カイの顏の上に涙が落ちた。すると、眼の中に刺さっていた悪魔の鏡の破片が流れ落ちた。

「ゲルダ!きみはゲルダだ!」

手をしっかりと握り合い、扉の外へ向かい歩いてゆく。雪像となった私にはもはや止める術はない。分かっていた、カイはいつか帰ってしまうこと。それでも私は寂しさを温めてくれる子供を探していた。私が生きる理由はもう無い。だからこのまま永遠に動けなくていい…。

2人は私の前に立ち止まり、せーのと小さく呟いたあと、私に息を吹きかけた。紫の吐息から愛のハーブ・ヘリオトロープ、ミモザ、イリスの香りが漂い、氷を溶かしてゆく。ムスクとライスパウダーは薄いヴェールとなり、マントの代わりに私の肩を包み込んだ。

5

私は初めて心から柔らかな気持ちに満たされた。今までたくさんのものを失ったけれど、初めて温かい安らぎを感じた。

「これからは幸せな雪も降らせると約束しよう。子供たちの頬にキスするような雪を。」
女王が振り返ると、庭じゅうに香りの芽が顏を出していた…それは春の息吹。

6


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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