どうして、こちらに構うのだろうと思う。
君はいつもたくさんの注目を浴びて、皆が君に夢中だ。
君の興味を引きたくて、皆が君に話しかける。
話題の中心にいて、誰もが笑顔になる。
僕はその中に居ない。居たいと思わない。
「何、書いてるの?」
君が突然話しかけた時、一瞬だけ周囲の空気が止まった気がした。
同じ陽だまりに生息する人間じゃないのだ。それは当然だ。
「な、なんでもない。」
「いいのできたら、見せてよ。」
君はそう言って、離れていった。光の集団に戻っていった。
それからというもの、ふとした瞬間に君が声をかけてくるようになった。それは誰も周りにいない、ほんの一瞬のこと。エアポケットに入ったように、その瞬間は周りの音が聞こえなくなる。僕はその度に、素っ気ない反応をした。その度に彼は、少し厳しい表情をして、その後はいつもの笑顔になって去っていく。感じの悪い奴だとムカついているんだろう。でも、それでいい。僕とは住む世界が、いや、住む惑星すらも違う人種なのだから。
僕の閉じた心は防御壁だ。誰も受け入れない代わりに、誰の心にも入りこまない。淡々と毎日を過ごし、課せられた課題は何とかクリアし、できるだけ人に迷惑をかけず、また迷惑もかけられず、なんでもない日々を重ねて年をとっていき死ぬ。それが僕の望みなのだ。誰にも期待しないし、期待されたくない。
父は母に「顔」以外何も期待していなかった。見た目以外のとりえなど無いと決めつけ、家政婦のように母を扱った。13歳の頃、母が別の男と暮らしたいと言って出て行った後、父の期待は僕と妹へ矛先が向けられた。家政婦と家庭教師で生活は常に監視され、僕は期待という他力本願の希望という牢獄にがんじがらめにされた。
4年後に父が仕事の会食帰りに倒れ、そのまま亡くなった時、少しだけほっとした。もう期待に無理に応える必要がないのだと。高3から僕は、自宅に妹と家政婦さんを残し、一人暮らしをすることにした。幸い、父の実家は資産家で、父自身も大手企業の重役だったので、仕事帰りの急病で労災も下り、お金には困らなかった。僕は、一人になりたかった。
来年は高校を卒業する。そしたらこの町からも離れよう。そう思いながら、夕焼けの道を歩いていると、遠くから聞きなれた声がした。
「お兄ちゃん!」
大きな橋の向こう側で、妹が自転車からこちらを見ていた。僕が無表情で軽く手をあげると嬉しそうに笑い、そのまま自転車をこちらに向けて道路を渡ってこようとした時だった。
「危ない!」
急に右折してきたトラックが妹の姿ごと飲みこんだ。道路の向こう、僕はテレビか映画を見ているような気すらした。トラックが急ブレーキをかけ、中から運転手が飛び出してくる。大きな車体が邪魔で良く見えない。僕は慌てて道路を渡り、橋の反対側へ走った。恐怖で足がもつれて、うまく走れない。ようやく反対車線に着いて、見た。
倒れた自転車と妹、そして君がいた。妹を膝に抱きかかえて、座り込んでいた。
「救急車呼んで!」
君は僕を見つけると叫んだ。妹を乗せた担架と僕は、一緒に救急車に乗った。妹は擦りむいた傷が頬や手にあったけれど、意識もあり話すことができた。妹が道路を渡ろうとした時、右折してきたトラックが凄い勢いで近寄ってきた。ぶつかる!と身を固くした瞬間、急に後ろから手を引かれ、妹は自転車ごと歩道側に倒れたそうだ。それでトラックは自転車の車体を轢いた形となり、妹は倒れた時のかすり傷だけで済んだ。念のため、頭に異常がないかを調べるため一晩入院することになった。
「いつも助けてくれるのよ、お兄ちゃんお礼言っておいてね。」
「いつも…?今日が初対面じゃないのか?」
「うん、お兄ちゃんが家を出た後、家庭教師としてずっと来てくれてるの。」
それは初耳だった。一言も聞いていなかったし、どうして僕や僕の家族にそこまで君が関わってくるのか、腹立たしい気持ちになった。
「パパもママもいなくなって、お兄ちゃんもほとんど会えなくなってから寂しかったけど、先生がずっと構ってくれて寂しくないようにしてくれてたんだよ。」
「僕と同級生だって知らなかったのか?」
「お兄ちゃんが学校でどうしているか、いつも話してくれてたよ。だから寂しくなったの。」
まだ小6の妹を孤独にした罪を、僕は感じずにいられなかった。そして、君がその孤独の理解者であり、妹のために僕の近況を知ろうと話しかけていたのだと分かった。
「怪我、大丈夫だった…?」
慌てた様子で、君が病室に入ってきた。そして妹を見て、ほっとしたようだった。僕は君と、一度きちんと話すべきだと思った。僕たちはロビーに降りた。
「どうして妹さんと知り合いか、聞いた?」
「あぁ。家庭教師をしてくれていたんだろ?」
「言ってなくて、ごめんなさい。でも…まだ言ってないことがある。」
「家庭教師していたこと以外に?」
君は重い口を開いた。僕の母が暮らしたいと出て行った先、つまり離婚前から母と付き合っていた男は、君の父だったのだと。君の父は、何年も前に独り身になり、君と二人で暮らしてきた。君は、僕の家庭が壊れた原因が、自分の父にあると責任を感じずにはいられなかった。また、自分の家族を捨てて、君の家に入り込んできた僕の母のことも、心の奥底では許せなかったそうだ。君は何か、僕たち家族の役に立てないかと調べているうちに、僕が家を出たことを知った。幼い妹から、結果的に家族を全員奪ってしまったのだとすら、君は思いつめた。そして、自分にできることは、すべてやろうと決めた。兄の様子を逐一妹に伝えて、妹を元気づけることが君のできる全てだったのだ。
「ごめんね、それしか…思いつかなかった。」
外はすっかり夜になり、病院の窓から甘い花の香りが風にのってやってきた。君は僕が素っ気ない態度をとった時と同じように、少し険しい表情をした後、泣きながら少し笑った。
認めずにはいられない、君という存在を。
赦さずにはいられない、君の秘密を。
尊敬せずにはいられない、君の誠実さを。
そしていつか僕は、君を好きにならずにはいられないだろう。
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