CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

甘い天罰

魔法の香り手帖
パルファン・ロジーヌ パリ「バレリーナ No5 オードパルファン」

ピンク色のチュールに黄金のブローチと髪飾りを纏ったバヤデールは、神に誓った愛を信じ、クルクルと回った。彼女が回るたびに、黄金色の光がふわりと彼女を包み、砂糖漬けされた甘い花弁が舞い散った。そして音楽が流れ始める…。


ピエルは苛立っていた。エージェントの奴、「お願いだから大衆に支持される作品を作ってくださいよ!」と鼻息荒く懇願してきたくせに、ここ5年の俺の成功が大衆に媚びているだと?自分のこだわりを貫けば、マニアックだの叩かれ、出資者たちからは金をドブに捨てたようなもんだと噛みつかれ、分かり易い作品を作ったら「パゾリーニも所詮は金次第の三文監督だ」と言われる。

まだ53歳、まだまだ稼げる体力はあるが、金に縛られない作品も作ってみたい。結局、何をしたって、どうせ誰かに何かを言われるんだから、何をしようと俺の勝手だ。

「お疲れさまです…。」

小さい声がして、ピーノが入ってきた。彼は今撮っている映画に出演している少年だ。

「ちゃんと洗ってきたか?」

「はい。」

ピーノは頷くと、ピエルが葉巻を吸っているベッドの中に滑り込んだ。ピーノの背中は月の光を照らして艶やかに輝いている。さすが17歳は違うな。俺の背中なんてシミだらけだぜ。夜が濡れていく。


翌朝、エージェントからの電話で俺は目が覚めた。朝っぱらから煩い奴だ。ピーノはもう部屋にいなかった。勝手に帰ったようだ。

「撮影は午後からだろ?」

不機嫌そうな俺に、エージェントはまた噛みつく。

「パゾリーニさん!これじゃあまりに原作と違いすぎます。サド氏の原作の要素をきちんと入れていない上に、近世フランスでもなければ現代イタリアが舞台ってこと自体がおかしいんですからね。一部から強い反発を受けることは避けらないですよ。次作に影響が出てしまいます!なんとかならないんですか?」

「スザンナ、君のキンキンした声にはいい加減うんざりだ。君の仕事は俺と企業の間に入って金の交渉や管理をすることだろ?いつから俺の作品に口を出すようになったんだ?」

「えぇ、えぇ、その通りですよ、私の仕事を越えた口出しです。でも、あなたの作品に問題があれば企業からクレームを受けるのはあなたじゃないんです、私なんですからね!クレームだけならまだいいですよ、契約違反だと言われて返金んだって求められるんです。その度にどんな苦労していると思っているんですか!」

「言いたい奴には言わせておけばいいのさ。奴らは俺が何をしたって文句を言うようにできているんだから。じゃ、後で現場で。」

スザンナが何か喚いている声が聴こえてきたが、俺は強引に電話を切った。母と同じ名前だからと縁を感じて雇ったのが8年前。『アポロンの地獄』を発表した頃だ。作品はヴェネツィア国際映画祭では不評でこき下ろされた。その時は、「あなたの才能は分かる人が分かればいいんです」と優しくなぐさめてくれたが、今となっては口うるさいだけだ。だから女は嫌なんだ。

丁寧に髭を剃って、短めの髪を8対2に分けると立てるようにセットした。テーブルの上に残っていたライチといちじくを、汁を滴らせながら食べる。そして、シャツを着てトレンチを羽織る。ピエルは襟をグイっと立てて、外へ出た。


それからいくつかの夜を越え、季節は秋を迎え、俺の新しい作品「ソドムの市」が完成した。

スザンナをはじめ、出資者からは猛烈な反発にあい続けたが、俺は気にしなかった。自分の好きなように、好きな作品を作る。芸術家の原点だ。クライアントの要望にだけ応えているだけの芸術家など、魂が死んだも同然だ。

ピーノとの関係はまだ続いていた。あいつは役者としても、まだまだこれからだ。俺の作品にももっと出してやるつもりだ。昼飯から戻ると、アパートの部屋の扉に、ピーノからのメモが挟んであった。あいつはいつも、チラシの裏紙にメモを書く。家は貧乏で、父親はいないそうだ。役者の仕事をしながら家計を支え、母親と弟の世話をしながら学校に通っていた。俺が母と二人でローマで窮乏生活を送っていた頃を思い出す。

「今夜、オスティアの海岸沿いを散歩しませんか」との走り書きに、少なからず心が躍った。たまには色々話を聞いてやろうという気になった。久しぶりに部屋の片隅においたオルゴールを回してみる。

30代の最後に、インドとケニアへ旅に出かけた。作家のアルベルト・モラヴィアと、モラヴィアの奥方で同じく作家のエルサ・モランテと行った旅だった。インドは、限りなく甘い香りの神秘的な国だった。そこで俺はそのオルゴールを買った。オルゴールなんて買うタイプじゃない。でも、なぜか気づいたら財布を出していた。部屋の片隅において、普段は存在すら忘れている。でも、今日は、無償に回したくなった。オルゴールの音楽が鳴り始めると、何だか眠くなった…。


ハッと目が覚めると18時だった。しまった、4時間近くも寝ちまったのか。ピーノとオスティアへ行く約束だ。ピエルは慌てて身だしなみを整えると、車でピーノを迎えにいき、そのままオスティアまで車を走らせた。

オスティアの海岸についた頃にはすっかり夜だった。

「降りて散歩してもいいですか。」

ピーノがそう言うので、俺は海岸沿いに車を止めた。役者としての今後の相談か、あるいはよほど困窮して金でも借りたいのか、何か大事な相談でもあるんだろう。冬がもうそこまで来ている。海風が冷たい。

「なんでも言ってみろ。」

俺はピーノの少し先に立ち、どんどん歩いた。

「何か悩みでもあるんだろ?遠慮なく言えばいい。次回作に出られるか心配なのか?それとも、母親や弟が病気にでもなったか?金なら多少都合つけることもできる。別に返すあてがなくてもいい。おまえは大事な存在だから、気にす・・・」

瞬間激しい頭痛がした。

振り返ると見知らぬ男たちが金属棒で殴りかかってきた。4~5人はいるだろう。最初に一撃で既に意識が飛びそうなところへ、次から次へと凶器が振り下ろされた。俺は海老のように身を丸くし、頭を抱えて耐えるしかなかった。

気を失う寸前に、奴らはいなくなった。助かった。俺が動かないから死んだと思ったに違いない。少しすれば、何とかギリギリ動けるかもしれない。ピーノも奴らに襲われたか?助けてやらねば…。

グォォォォォと低いエンジン音が響き、ピエルは目を開けた。車のヘッドライトが強烈な光で向かってくる。それが、彼の見た最期の光景だった。


「ピーノ・ペロージ、君が本当にパゾリーニ氏を殺害したのかね?」

「はい。」

「どうして自分から出頭した?」

「ピエルは著名人です。きっと僕は逃げられません。」

「パゾリーニ氏には複数の暴行跡があった。何か棒状のもので複数回殴って出来た傷だ。一番大きい傷は後頭部。しかし、直接の死因は轢死。ということは、暴行を受けた後に、車で轢き殺されたということになる。それを君がひとりでやったと言うのか?」

「はい、僕が海岸沿いに隠していた鉄のパイプでピエルを何度も殴りました。動かなくなりましたが、心配だったので車で撥ねました。」

「いやいや、君は17歳だろう。18歳ならともかく、車の免許すら持っていない。」

「はい、無免許で運転して撥ねました。」

「パゾリーニ氏の車は、海岸沿いに停められたままだった。君は何の車でパゾリーニ氏を轢いたというんだね?」

「近くに乗り捨てられていた車がありました。カギがかかっていなかったので、それを使いました。撥ねた後は、その車でローマまで戻りました。」

「じゃあ、突発的な殺人だったのかい?」

「はい。」

「違うね。君はさっき海岸沿いに隠していた鉄のパイプと言った。突発的ならそんなものは用意していない。」

「…先ほどの言葉は言い間違です。たまたま落ちていた鉄パイプです。」

警察も困っていた。出頭してきた少年ピーノは、自分が映画監督のピエル・パオロ・パゾリーニを暴行し殺害したと自供している。動悸は、パゾリーニによる性的暴行に対する正当防衛での殺害と遺棄。しかし、どう考えても17歳の少年1人でやり遂げられるような殺人ではない。明らかに大人の手が加わっている。しかし、ピーノはあくまで自分ひとりの犯行だと言い張った。パゾリーニは20代の頃、未成年への淫行容疑で教職の仕事を解雇されている。彼の性的嗜好を鑑みて動悸と整合性があると判断された結果、パゾリーニは少年を襲うために無理やり車で連れ出し、海岸近くで事に及ぼうとしたため、少年が自分の身を守るために行った正当防衛であるとして捜査は打ち切られた。

それからほどなくして、ピーノは釈放された。自宅の前に戻ると、窓から母と弟の姿が見えた。暖かい火を囲みながら食事をしていた。十分な食料とお金が届けられた証拠だ。ピーノは暫し立ち止まると家には入らず、踵を返すとその足で、走ってパゾリーニのアパートまで向かった。

勢いよく階段を駆け上がる。ほんの少し前のことなのに、懐かしさすら感じる。部屋のドアの上に燕の巣がある。そこに手を入れまさぐると、鍵が入っていた。いつでもピーノが部屋を使えるようにと、ピエルが用意してくれていた鍵だったが、遠慮して使うことは無かった。こんな形で使う日が来るなんて…。

部屋の中は静かだった。警察が調べた後、誰かによって片づけられ、おそらく財産になるようなものは親族やエージェントが持って行ったので、雑然と家具類が残されているだけだった。次の借り手が見つかれば、これらも処分されるのだろう。ピーノはベッドに突っ伏して、わんわん泣いた。自分の無力さが悲しかった。

突如、オルゴールがまわりだし、ピーノはビクッとした。

部屋の隅に置かれた小さなオルゴールだ。ピンク色のチュールに黄金のブローチと髪飾りを纏った踊り子の女性が、クルクルとまわっている。どこからともなく、甘い香りが漂ってきた。お菓子のような甘さと、花々の美しい香りに、温かい木の余韻。あぁ、ピエルのコートの匂いだ。

彼は赦してくれるだろうか。僕は、母と弟を殺されるのを止めたかっただけなんだ。その一心で彼をオスティアに連れ出した。彼が死んだ後、奴らが指示する通りに出頭した。

ピーノはゆっくりと立ち上がると、オルゴールを手に取った。あぁ、そうだ「バヤデール」だ。前にピエルが話していた、古代インドを舞台にした物語。神に誓った愛を裏切ったものに天罰が下る。寺院は崩壊し、全員が死ぬんだ。

ピーノは床に落ちていた、黄金色のオーガンジーを拾い、オルゴールを丁寧に包んだ。戒めとして持ち帰るために。

僕はピエルの愛を裏切った。僕にも天罰が下ればいい。

パルファン・ロジーヌ パリ「バレリーナ No5 オードパルファン」

【掲載商品】
■パルファン・ロジーヌ パリ
パルファン・ロジーヌ パリの「バレリーナ No5 オードパルファン」よりインスパイアされた物語を香りのストーリーテラーYUKIRINさんがつむぎます。
50mL ¥14,000+税
株式会社フォルテ
Tel. 0422-22-7331
http://www.forte-tyo.co.jp/

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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