CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日を送るライフスタイルマガジン

一角獣の妖夢

魔法の香り手帖
ブランシュベット オードパルファン

「白い液体の上に、1滴の黒い液体を落としたらどうなると思う?」

「えーと…濁る?」

「半分正解。でも瞬時に濁るわけじゃないんだ。白の大群に1つの黒が突っ込んでいったら、徐々に周りは黒くなっていって、時間をかけてグレーになっていく。勿論攪拌すればもっと早くグレーになる。一度黒が混じれば、例え新たに白い液体を足して薄めたとしても、最初と全く同じ白に戻すことはほぼ不可能なんだ。」

「じゃあ反対は?黒い液体の上に、1滴白い液体を垂らしたら?」

「それぞれの液体の量にもよるけれど、1滴ならば基本的には呑み込まれてしまう。正確にはほんの少しグレーに近づくけれど、ほとんど分からないだろうね。」

先生はそう言って、プロジェクターのスイッチを切り、マホガニーの椅子に座った。尖った顎の先端を人差し指でポンポンと押す。何か考えている時の癖だ。

私にとって先生は、闇の中で光る白く美しいもの。正しいもの。学校や社会人が闇深いものだとして、例え先生が闇に呑み込まれていても、私にとっては輝いて見えている。先生は、作者不明のタペストリーに記された、うら若き乙女の横に描かれている白い一角獣のようだ。乙女に寄り添いながら、その鋭い角で、私が苦しむ闇を切り裂き、そして熱を突き動かしてくれる。先生に似ていると思って買った、ユニコーンのヘアピンを耳の上に刺しなおす。私のひそかなお守りだ。

恋をすると(本当はそんな陳腐なカテゴライズはされたくないけど)、人は五感が鋭くなると言う。集団の中にいてもすぐに好きな人を見つけられたり、少し触れられただけで熱を帯びたようになったり、少し遠くに居ても話し声が聞こえたり、すれ違ったときの匂いにときめいたりする。普段の自分と違って戸惑っても、その時は既に遅い。もう引き返せない感情を抱えることになる。

「先生から見て、私は白の中の黒ですか?黒の中の白ですか?」

先生は少しの間じっと私の顔を見つめる。それだけで、自分の体温がじわっと上がる。何てきれいな顔なんだろう。白く濁りのない肌に、左右対称の憂いを帯びた黒い瞳、唇は少しめくれあがってピンク色のグラデーションをしている。思わず見惚れていると、先生は黙って立ち上がり、理科室を出て行こうとする。答えずに行ってしまうのかと思ったら、寸前に振り返った。

「どちらでもあるかな。じゃあ後で、家で。」

ブランシュベット オードパルファン

どの学校に行っても、同じようなことが起きる。大抵、家庭で何か問題を抱えている子だ。学校ではうまく演じて友達の輪の中に居ても、心はどこか孤独なものだ。僕が選んでいるんじゃない。相手が強く望んだからだ。需要と供給のマッチングにしかすぎない。

僕は警戒心を持たれないことについては、子供の頃からとても自信があった。人は美しいものに抗えない魅力を感じてしまうらしい。少し疑いを持っても、じっと見つめて話したり、時折涙を流すだけで、すぐ信じてもらえた。美は正義だ。しかし本音は、誰かが決めた美しいという基準など、僕はどうでもいい。バカバカしいが、それでやりやすくなるなら利用するまでだ。

勤務室の窓辺、枯れかけてきた花瓶の花を捨て、先ほど買ったジャスミンとチュベローズを飾る。再び訪れたチャンスに胸が躍る。空気のように心に忍び込み、身体を内側から砕いて、枯れかけてきたら新しいものと取り換える。ミルクのような白い肌の、甘い匂いを思い出す。頭の中の声が言う。さぁ、そろそろ頃合いだと。

翌週、一人の女生徒が失踪した。直筆で「好きな人と一緒に旅に出ます」と書きおきがあったため、いわゆる駆け落ちのようなものだと当初思われた。別居中の両親が日曜の夜にメモを見つけ、学校と警察に申し出て発覚した。鍵のかかっていた女生徒の部屋に入ると、白いナイフが窓際に突き立てられており、何着かの着替えやスーツケースが無くなっていた。同居していた母親は、新しい恋人の家に金曜から週末にかけて出かけており、日曜の夜まで女生徒は家に一人だったと言う。以前から同じようなことは何度かあり、娘も理解を示してくれていたと母親は困惑していた。(本当に理解していたかどうかはあやしいものだ)

日曜の夜に娘が帰宅しないことで慌てて携帯へ連絡したが、直に留守電につながるだけで、月曜にはそれすらもつながらなくなった。(電源が落とされたか切れたのだろう) 正確な失踪日時すらはっきりしない状況だったが、マンションの監視カメラ映像で、金曜の夜には既に帰っていなかったことがわかった。しかし、有力な目撃情報もあがらず、また母親が不在とするスケジュールを知っていたため、自分も出かけて問題がないと思っていた可能性があり、無理矢理連れ去られたとは考えにくい。

月曜の朝、学校では緊急会議が行われた。何故なら、この2年でこれが3回目の失踪事件だからだ。いずれも理由は様々で、最初は両親の喧嘩に疲れたとのメモが残され、去年は友達とうまく付き合えなくて苦しいからと書いてあった。すべて本人の直筆で、無理矢理書かされた雰囲気はない。

「相澤先生、何か相談を受けていなかったんでしょうか?」

「私には全く…ただご両親の別居で、お母様が仕事に復帰されたため、家で孤独だとは漏らしていました。実際は母親に新しい恋人ができて、度々家を空けている寂しさもあったのでしょう。私がもっと気づいてあげられれば良かったのですが、駆け落ちと聞いてもピンときません。彼女は付き合っていた男性もいなかったと思いますし、そんな噂も聞いたことがありません。今回は私のクラスの生徒ですが、以前2回は担任ではありませんでしたし、過去の生徒たちの失踪と関係があるのかどうかも…」

1時間ほど会議は行われたが、これと言った結論は出ず、足取りはプロである警察に任せ、他の生徒たちへの聞き取りや、不安をなだめる対策を取ることになった。仕方がない、今、学校で出来ることはそのくらいしか無いのだから。

買ったばかりのヒールで廊下を歩き、勤務室へ入る。朝に纏ったやわらかな人肌の香りが、歩くたびにふわりと漂う。今日は彼女が仲の良かった生徒たちに、一人ずつ聞き取り行わねばならない。僕は鏡をのぞき込んだ。そして、サラサラと揺れる長い黒髪をコームで梳かす。ふと鏡越しに、床に何か光るものが落ちているのに気づく。ユニコーンがついたヘアピンだ。僕はハンカチで拾ってくるみ、ジャケットのポケットに仕舞った。帰りに駅ビルのゴミ箱に捨てよう。

女性として生を享けた僕のアイデンティティなど、頭が固い学校のお偉いさんたちが理解できるわけがない。ましてや、失踪した女生徒たちが僕に焦がれていたことなど想像もしていないだろう。次の学校に移るまで、存分に楽しませてもらうつもりだ。

「じゃあ、話を聞かせてもらえる?彼女、最近何か変なところはなかった?」

僕は甘いココアを淹れて、差し出した。

ブランシュベット オードパルファン

【掲載商品】
■リキッドイマジネール
「ブランシュベット オードパルファン」
100mL ¥38,500
ART EAU(アールオー)
TEL:090-4093-1006
https://www.arteau.jp

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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