CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

ホワイトドロップ~前篇

魔法の香り手帖
パスソワール オードパルファム

彼女は確かに、そう囁いた。

「また今度ね。」

彼女から漂う香りは、僕を絡め取り深淵まで連れていく。あえてカウンター越しに、自分のテリトリで接触を選んだのは明白だ。僕がカウンターを飛び越えて、追いかけるのを知っていた。そして、それ以上は追いかけられないことも。

14日前、郊外のワンルームマンションで、男の死体が発見された。勤め先の介護施設で無断欠勤が1週間ほど続き、連絡が取れないと職場の同僚が男の自宅を訪ね、大家に開けてもらったところ室内で倒れていた。何かが焦げたニオイと、水浸しの床。原因は感電で倒れた後、気を失ったか動けなくなったところを何者かに背後から絞殺されていた。解剖の結果、殺された日は1週前とされ、無断欠勤が始まった日と同じと考えて良いだろう。

男の介護施設での勤務態度は悪くなく、身体が大きかったので力仕事を進んでこなしていたという。男の自宅PCから、施設でも友人でもないであろう相手とのメールが見つかった。副業をしていたようだ。このご時世、ダブルワークを行う人も多い。内容から一旦は、ただの副業として死因に紐づけられることはなかった。

「先日は、ご協力ありがとうございました。また、新規案件が出ましたら、よろしくお願いいたします。」

とか

「急ぎの対応をしてただき、恐れ入ります。明日、再度移動させます。」

など、先方から送られてくるメールは、具体的内容に触れられてはいないが、丁寧な口調で違和感はなく、ガタイを活かし搬入搬出のアルバイトでもしていたのだろうと思われた。しかし、男の同僚たちは副業に関して全く心当たりがないと言う。さらに、介護施設での仕事は人材の入れ替わりが多く、常に人手不足かつ非常にハードで、勤務時間も大幅にオーバーしていたから、副業などやっている体力や時間は無かったのではないかと首をかしげられた。しかし、副業先からのメールは割と頻繁に来ている。そこで、介護施設との勤務時間を照らし合わせることになったのだが、規定より多く働かせていたいことが公になると都合が悪いと思った施設管理者が、おそらく虚偽であろう“まっとうな”勤務表を提出したことで、従業員たちも一斉に口をつぐんでしまった。

殺されたと思われる当日、男は勤務表上は休みとなっていた。実際に休んでいたかどうかは不明。死亡時、外出していたような服装であり、帰宅後に狙われた可能性が高い。施設の入居者一人一人にも聞いてまわったが、日によって当番が違い記憶が曖昧になっていたり、当日の足取りがなかなか定まらなかった。男が施設内で、一番世話をしていたという老女は普段より記憶が曖昧で、当日男に会ったかどうかも分からないと笑顔で答え、証言の信ぴょう性は薄い。僕は諦めて別の老人へ話を聞くために、部屋を出ようとした時だった。

「ここはたくさん新しい人が来るのよ。あなたもそうなの?」

振り向くと、老女がベッドから身を乗り出し、笑顔で僕に話しかけていた。

「新しい人って?おばあちゃんのお世話をする人、たくさん来るの?」

「そうじゃないの。この施設に、毎週たくさんの人が入ってくるのよ。」

「おばあちゃんみたいな人が、たくさん来るってこと?」

「うーん。」

そこまで言うと老女は眠ってしまった。僕は廊下に出てすれ違った施設スタッフに話しかけた、

「すみません、ここって入居者結構入れ替わりますか?」

「いいえ、あまり入れ替わらないですよ。」

「ですよね…ありがとうございます。」

スタッフは軽く会釈をして去っていった。風に乗ってふわっと香りがした。少しスパイシーで、白い花のような甘く誘惑的な香りだった。病院ではないとはいえ、介護施設で香水をつけているのか?珍しいスタッフだ。

施設の防犯カメラも見せてもらったが、入居者の家族が面会に来る以外に入口の出入りはほとんどない。スタッフは裏口から買い出しや用事を済ませに行くが、それも特別変わったところは無かった。スタッフの入れ替わりは多く、短期でアルバイトをする人や、期間限定の派遣者もいたという。古株のメンバーは、館長と数名程度で、常に新人が居る状態だったという。老女の言う「たくさん新しい人が来る」の意味はスタッフが入れ替わるという意味だったのだろう。

2日後、僕たちは再度施設を訪れた。ロビーに先日の老女が居た。寝巻のようなスウェットで、ぼうっと座ってテレビを見ている。

「おばあちゃん、こんにちは。」

「あぁ、あんたね。こんにちは。」

今日は意識がはっきりしているのか、意外にも僕を認識できているようだ。

「おばあちゃん、この前言っていた、たくさん新しい人が来るって覚えてる?スタッフさんがたくさん入れ替わると、顔を覚えるの大変でしょう。」

「最近は新しい人来てないよ。」

「じゃあ、最後にたくさん来たのはいつか分かる?」

「うーん。しばらく来てないよ。」

「しばらく…1か月前とか?」

「分からないわ…。」

老女はテレビから目を離そうとしない。僕が立ち上がろうとした時、再度口を開いた。

「2週間くらい来てないよ。いつも夜中だよ。」

「夜中?夜中に新しい人がたくさん来るの?」

「夜中に走ってる足音と、話し声がするから目が覚めて困るの。」

「なんで新しい人だってわかるの?ここのスタッフさんが話している声じゃないの?」

「でも、新規3名とか言っている声が聞こえるのよ。」

もっと話を聞こうと身を乗り出した時、施設スタッフが割って入ってきた。彼もなかなかガタイがいい若者だ。

「すみません、入居者の方にむやみに話しかけないでいただけますか。ご家族の方に我々が怒られてしまいますので。」

そう言って、老女を車いすに乗せ連れて行ってしまった。僕は相棒に目くばせをして、老女とスタッフの後を追うように指示した。僕と老女の会話がどこまで聞かれたか分からないが、あまりにいいタイミングで遮られた。施設側にとって不都合だったか?

僕たちはそれから数日、施設の裏口から20mほど離れた場所にこっそり車を止め、夜中の動きを見張ったが何も起きなかった。老女の発言は、やはり曖昧なものだったか?確信が持てない。本部からも、成果がないならそろそろ監視を引き上げろと言われている。少しだけ空が白み始めた朝5時、帰ろうとエンジンを入れかけた時、施設の通用口がギィィと音を立てた。

双眼鏡で車いすが見えた。あの時の老女が乗せられ、2人の施設スタッフによって連れられていく。すぐに駆け出したい衝動だったが、一瞬様子をうかがう。黒いワゴン車に老女は乗せられ、車がゆっくり動き出す。ライトを消したまま、僕たちはゆっくりと追走した。朝もやの中、山道は霧がかかり見通しが悪い。分岐点の信号で僕たちの車が止まったところで、信号を通過していた黒のワゴンが急にスピードを上げた。まずい、巻かれる!

青信号に変わると同時に追い上げ、少し先の空き地に黒のワゴンを発見した。しかし、中はもぬけの殻だった。もともとここに乗り換える車を用意していたということだ。これではっきりした。老女を乗せた黒のワゴンは、明らかに僕たち警察がつけていることに気づいていたし、つけられることを想定して代わりの車を事前に用意していたということだ。

僕たちはUターンして施設に戻った。まだ朝の5時半の面会時間外だがインターフォンを押し、明らかに不機嫌そうなスタッフに無理やり中へ入れてもらう。

「302号室に居たおばあちゃんは、どこですか。」

「302号室?門倉さんね。えーっと…」

スタッフはノートをめくる。

「あ、ご家族が引き取れる環境が整ったのでと連れていかれました。」

「いつ。」

「昨日ですね。」

スタッフのノートを僕は思わずひったくる。

「あ、ちょっと!勘弁してくださいよ!」

申し送りの欄に、確かにそう書いてある。でも僕らは、つい今しがた車に乗せられる門倉さんを見たのだ。それは昨日とは言えない。また家族が引き取ったとも、到底思えない。

「…何事ですか?」

奥から館長が顔を出す。

「我々スタッフは忙しいので、こういうことは困りますね。」

その時、僕の目は夜勤スタッフの名前が書かれたホワイトボードに釘付けだった。

「あの…夜勤は何名でされますか?」

「いつも2~3名です。」

「昨夜も?」

「はい。昨夜は3名ですね。」

「ここのスタッフさん、合計で何名ですか。」

「合計?うちは短期やバイトさんも多いので、いつも合計何人かなんて数えたことないですが。」

「いいから!今現在で何人ですか?」

「えーっと…私と、正社員が5人、派遣さんが2人、バイトが2人だから、合計10人です。」

横からスタッフが口をはさむ。

「派遣さんは昨日までだったから、今は8名ですよ。」

「昨日まで?派遣さんというのは、どこか紹介所から来ているということですか?」

「そうです、3か月とか半年とか、期限をもって働いていただいています。」

「昨日までというのは元々決まっていたんですか?」

「いえ、先週頭くらいに申し出がありましたので。」

「そんな急に?」

「突然来なくなる人もいるくらいですから、こちらも驚いたりはしませんね。」

館長は、顔色一つ変えない。

「派遣の履歴書や職務経歴書、見せてください。」

「…少々お待ち下さい。」

ややあって館長は、ファイルを持って現れた。死んだ男は正社員だったから、このファイルにはいない。僕が確認したかったのは、先ほど老女を連れ出した二人が派遣かどうかだ。こんなにも多くの派遣が入れ替わっているのか。急いで最後の方ページをめくる。

いた。3か月前から勤務し、昨日で辞めた二人。ひとりは男、テレビの前で老女に質問していた時に遮ってきたやつだ。もうひとりは女…。あの女か!僕が入居者数について質問した、香水の香りがした女だ。

待てよ、もしこの二人が老女を連れ出したのだとしたら、僕が質問した時も女は偶然居たとは思えない。僕たちを監視していたから、部屋の前を通り過ぎるように見せかけた。夜勤で忙しい中、施設の作業着を着て動いていれば、昨夜館内に残っていても残業をしていたように見え、誰も気にしなかっただろう。夜明け前を待って、薬で眠らせた門倉さんを連れ出した。

門倉さんが気づいていた、たまにある夜中の足音と新規何名という話し声。この二人が施設内で行っていた何かだとすれば、館長が知らないのはおかしい。本当に紹介所から派遣されてきていたのか。館長がどこかと通じて派遣としていたか…?気づいたとき、既に館長の姿は無かった。

「館長は?!どこ行った?!」

「通用口から出て行かれましたけど…」

慌てて通用口へ走る。やられた、施設車の大きなバンが無くなっている。その時僕の携帯が鳴った。非通知だ。

「誰だ。」

「お疲れ様です。」

女の声がした。

「誰だ。」

「もう気づかれたんでしょう?私たちも館長も、もうそこには戻りません。」

「おまえたちは、ここで何をやっていた。正社員だったあの男の死にも関係しているのか?答えろ。」

「明日、お会いできますか?ただし、相棒さんは無し。お一人で、が条件です。」

「時間と場所は。」

「西麻布のBar BDKで、夜中の1時半。」

「わかった、一人で行く。」

電話は切れた。

「お前、本当に一人で行くわけじゃないよな?上にも報告するぞ。」

相棒があきれた顔をしている。

「こっちの動きは見越しているだろう。上に報告すれば、きっと女は現れない。それで終わりだ。」

「じゃあ…せめて俺も行く。俺は中に入らない。少し離れて外か通用口に待機するから、何かあったら呼べ。」

「わかった。とりあえず、館長が逃げたバンのナンバーをここのスタッフに確認して、本部でNシステムにかけてもらってくれ。この1か月くらいで、バンがいつどう動いていたか、使われたのか調べよう。」

この日、バンは数キロ行ったところで乗り捨てられていた。仲間たちを館長を拾ったか、または連れていかれたか。館長は唯一身元がしっかり割れている。危険な組織が裏にあるとすれば、利用されるだけされて切り捨てられる可能性は高い。この1か月で、バンは数回Y県へ出入りしていることも分かった。施設から2時間ほどかかる上、その移動は夜中から朝方にかけてだ。Y県に何かがある。そもそもあの施設はデイサービスを行っていない。入居者をバンで運ぶ必要がないのにバンがあったこと自体が不自然だったのだ。そこに気づけなかった。

ライト

翌日は終日、強い雨が降った。僕は予定より早く深夜1時にきっかりにBarへ入り、中の様子を伺った。入り口は狭い割に、奥に長く空間は広がっている、うなぎの寝床のような店だ。手前にはカウンターがあり、テーブル席がいくつか続き、一番奥には個室がある。特別変わった店ではなく、事前に調べたが過去に犯罪が起きた履歴も無かった。僕はカウンターの一番奥に座り、じっと待った。

1時半になったが、女は現れない。携帯も鳴らない。5分経ち、10分経ち、少し苛立ってきたその時、ふとあの香りがした。白い花のような甘く誘惑的な香り。介護施設には似つかわしくなかったが、Barでは違和感がない。女がどこかに居る。振り向いて、入口やテーブル席に目を凝らす。

「こちら、店からのサービスです。」

驚いて振り返ると、テーブルに差し出されたウィスキーのグラスの向こうに、あの女がいた。施設で見た人物と同じには見えない。広げた髪と赤いベロアのようなリップにハッとさせられる。僕は声のトーンをあげずに、じっと彼女の眼を見る。

パスソワール オードパルファム

「あの施設で3か月、何をやっていた。殺しにかかわっているのか。」

彼女の香りは深みを増し、琥珀色のような気配を感じさせた。

「何をやってた…ね、人助けよ。殺しにかかわっているかについては、直接的にはノー。」

「人助け?新規というのはどういう意味だ。」

「新鮮な野菜という意味。」

「ふざけるな。」

「ふざけていないわ。野菜の名前をつけて呼ぶようにしているもの。」

「名前をつける?あの施設に誰かを定期的に連れてきていたということか?」

「門倉さんが聞いたのは、その音ね。」

「彼女は今どこにいる。」

「ちゃんと生きているわ。私の部下が面倒を見ているもの。介護って大変よ。」

「彼女を開放しろ。」

「解放してもいいけど、彼女行くあてなんてないわよ。ご家族もいないし、親戚も遠くて一度も面会には来ない。あの施設に戻るのと、私たちが介護するの、大して変わらないわ。」

「余計なことを喋られたらまずいからだろ。あの施設に夜中に連れてきていたのは、誰だ。何のためだ。」

「今夜じゃないわ。」

「なに?」

「また今度ね。」

女は囁くように言うと身を翻し、カウンターの奥の扉に消えた。僕は慌ててカウンターを飛び越え、バーテンダーを突き飛ばし扉に飛び込んだ瞬間、身体ごと誰かにぶつかり倒れた。外で見張っているはずの、僕の相棒だった。

「おい!あの女を追いかけろ!」

「三田、悪いな…。」

そう呟くと、相棒は銃で頭を打ち抜いた。

(続く)


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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