CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

泡の月

魔法の香り手帖
TOBALI ユース ドリームス オードパルファン

水曜日の17時30分。
うねるように走る地下鉄から降り、琥珀色の生暖かい風を感じながら改札を出て進む。いくつかの階段とエスカレーターを上がり、めぐみはようやく外へ出た。

何だか生臭いニオイがするのは、近くの飲食店のゴミ袋だろう。裏通りは時折ねずみも走り去る。都会のねずみはまるまると太っている。食べ残しが多いからだろう。昔読んだ、田舎と都会のねずみの話を思い出す。どちらも結局は、住み慣れた場所が居場所という話。私にとって住み慣れた場所は、田舎なのか、都会なのか。大学進学時に上京して5年、今は都会の方が心地いい。

センター街を奥に奥にと進んで、脇道に入る。店の従業員口が裏通りにあるからだ。古びたドアを引いて、数段の階段を下がると、そこには灰色のいかにもなロッカーが立ち並んでいる。いくつかのロッカーには、名前やキャラクターのシールが貼られていた。めぐみは一番左の下段の何も装飾の無いロッカーを開けると、貴重品の入ったバッグを入れて、持参したワンピースに着替えた。携帯を小さなバッグに押し込み、”がちゃん”とタイムカードを押した。

「加藤さん、おはようございます。」
「めぐみちゃん、今日もよろしくね。」

黒服に挨拶すると、めぐみは待機ソファーに座った。加藤さんは、多分50歳半ばくらいじゃないかと思う。短髪ながら白髪が結構混じっているし、顔にもシワが多い。細身で身長があるので、黒いスーツ姿が似合っていた。勤怠や礼儀に厳しく、バイト感覚の若い女の子たちからはあまり好かれていなかったが、長く居るキャストたちからは信頼されている様子だった。加藤さんと日替わりで黒服を務める長浜さんは、とても軽いノリのおじさんで我儘は通しやすいけれど、トラブル処理能力に欠けていたので、店の支柱はやっぱり加藤さんだった。

私がこのお店でアルバイトを始めたのは2か月前。大卒で念願のアパレル企業に就職できたが給料は低く、家賃、光熱費、食費で精いっぱい。洋服は社割が効くけど、もちろん自社ブランドだけで、店頭で着用する服を購入しなくてはならなかった。店頭スタッフが着ている服をお客様たちに見せて、購買欲をあおるためだ。在庫が売り切れてしまった服は、当然これ以上売ることができないので、店頭で着ることができない。自腹で買っているのに、理不尽としか言いようがない。制服のあるブランドだったら、こんな苦労しなくて済んだのに。私は元々、企画職を希望していた。ゆくゆくは自分のブランドを持ちたいという夢があるからだ。しかし新卒は全員一年間、本社勤務ではなく、まずは店舗スタッフを務めるというのが会社のルール。高校時代にバイトで貯めた貯金は、店頭で着る社割服のためにみるみる減っていき、私は会社に内緒でアルバイトを探さざるを得なくなった。

とはいえ、アパレル店舗スタッフ、固定の休みが決まっているわけじゃない。シフトが出てからようやく休みがわかる。慣れない仕事で疲れもあるから、休みの日はちゃんと休まないと身体が参ってします。そこで、バイトの出勤日はできるだけ少なく、短時間で時給のいいことが条件となった。一番手っ取り早いのは、水商売という選択肢。

私は、街によく居るような派手なギャルではない。美人でもないし、華やかとは言い難い。20代ということくらいしか売りがないので、華やかな女性が多い店やノリが若い店は、ことごとく面接で落ちた。5軒目でようやく採用してくれたのが、渋谷のこの「クラブ」だった。渋谷にあるとは思えないほど、古めかしい内装、昭和の日本映画に出てきそうな雰囲気で、過去にトリップしたような気分になる。

面接をしてくれたのは黒服の加藤さんだったが、「うちは30代後半~40代の女の子たちが中心で、お客さんも中年以降の方ばかりだけど、大丈夫?」と聞かれて面食らった。20代の子はそもそもほとんど入ってこない上、すぐに辞めてしまうため、若い子要員が必要な時のために常時2~3人はアルバイトを置いておく。そこで私も採用された。

キャストのお姉さま方は、お世辞にも全員が美人とは言えないことも、最初驚いた。クラブには美人がずらりと揃っているイメージを、勝手に抱いていたのだ。しかし、1か月もすれば同じような美人が何人いたところで、個性が無くては意味がないのだと理解する。妖艶な美人の麗華さんは別として、ガハガハ笑ってお酒の強いあゆみさん、普段はハンドモデルをしているというほんわかしたお嬢様タイプの凛さん、店内のピアノを弾いたり接客もするミステリアスな由美さん、細身ではかなげな雰囲気の茉莉さん・・・。彼女たちは仲間であってライバル同士。私など一切眼中にない。個々が自分の魅力とセールスポイントを嫌というほど理解していて、臨機応変に態度や対応を微調整しながら接客している。女性たちが集まると、それぞれの纏っている香水が混ざり合い、ユリやイランイラン、チュベローズやマリーゴールドなど、都会的なフローラルノートが優雅に漂った。

私と同じころ、亜沙美ちゃんという若い女の子が入ってきた。私より3つ年下で20歳。亜沙美ちゃんは、昼間の仕事は一切していなかった。キャバクラの面接に落ちて、たまたまこのクラブの看板を見てふらっと入ってきて、そのまま採用になったのだそうだ。亜沙美ちゃんはとにかく凄く飲む子で、酒を煽られる席では活躍していた。遊ぶことが大好きらしく、店が終わった深夜から仲間たちとクラブに飲みに行ってしまうようなパワフルな子だった。私は翌日も昼間の仕事があるから、店で飲みすぎないように気を付けていて、店を上がったら即帰宅していたので対照的だった。

その日も亜沙美ちゃんは、ヘルプについた席でものすごく飲んでいた。飲みっぷりがいいので、飲み干す度に歓声があがり、お客さんも面白がってどんどん飲ませていた。大声で騒ぐようなクラブではないので、その席は異様なほど店内で注目を集めていて、「あの子大丈夫?」と耳打ちしてくるお客さんもいたほど。

「きゃあ!」

小さい悲鳴が上がって振り返ると、亜沙美ちゃんが床に崩れ落ちていた。ボーイが駆け寄り腕を持ち上げて立たせる。亜沙美ちゃんはふらふらっと身を起こし、こう言った。

「だぁいじょおぶですよぉ。わたしはただのバイトですもーん。ここのおばさんたちとは違うんですぅ~。」

亜沙美ちゃんの放った一言で、フロアが一瞬凍り付いた。加藤さんが亜沙美ちゃんを強引なまでに抱えて、ロッカールームへ連れ去っていくと、お姉さまたちはそれぞれの方法で場を和ませながらお客様のフォローを始めた。それは鮮やかで、見事なまでの空気の転換。5分後には、今起きた出来事がまるでなかったかのように、平穏ないつものクラブに戻っていった。

何とか店が終わり、私がロッカールームに入ると、亜沙美ちゃんはいなかった。加藤さんはいつもより険しい顔をしていて、何かを聞ける雰囲気ではない。やがて麗華さんとあゆみさんが入ってきて、着替えを始めた。今からアフターだという。麗華さんは豹柄のワンピースに着替え、客室乗務員のようにきゅっとスカーフを首に巻いて、私をサッと見た。

TOBALI ユース ドリームス オードパルファン

「めぐみちゃんも、ただの “バイト” かしら?」

亜沙美ちゃんのことを言っているとは思ったけれど、咄嗟になんと返していいかと言葉に詰まった。だって、私には昼の仕事があって、このお店は本当に “バイト” だから。本業にするつもりは無い。とはいえ、今そう言える勇気も無い…。

「さっきの麗華さんやあゆみさんの、お客様対応素晴らしかったです。一瞬、空気が止まったみたいだったのに、すぐにお客様の不安を取り除かれて盛り上げてらっしゃって。私もお二人のようになれるように、頑張ります!」

麗華さんは目線をそらしながら、ふっと微笑んだ。良かった、褒めたこと喜んでくれてる。

「あなたには無理よ。」

「えっ。」

「あなたがお店に来てから2か月くらい?いまだにワンピースの後ろのファスナーの一番上、ホックを留めて着ていないでしょ。お客様からどの角度で見られてもいいように準備していないあなたに、” ちゃんと服が着られない ” あなたに本気の接客なんかできないわ。私たちになるのは無理だし、私たちみたいになりたいなんて、ウソ。私はね、いい学校には行ってないけどバカじゃないの。舐めないで。」

そう冷たく麗華さんは言い放ち、ロッカールームを出て行った。デニムに履き替えたあゆみさんが、「じゃ、お疲れ様。」と続いて出て行く。私はその場を動けなかった。凄いと思った。確かに、髪が長いから見えないだろうし、いいやと思ってワンピースのホックは留めてなかったけど、そんなところまで気づいているんだ。私がこの場を取り繕うために二人を褒めた言葉のチープさも、すぐに見抜かれた。あえてなぐさめの言葉を残さない、冷静なあゆみさんも凄い。その方が私に響くかもしれないし、響かなかったとしても仕事以外で無駄な時間を使わない。怒られたショックより、わけのわからない感動を感じた。

そんなことがあってからも、私は週2日、5か月近く働いたが、昼間の会社で新卒の1年間を無事に終え、念願の企画部へ配属してもらえることになったタイミングでクラブを辞めた。ワンピースのホックは留めて懸命に勤めたけれど、彼女たちのような本気の接客には程遠かったと思う。あくまでアルバイト。彼女たちとはずっと相容れない。でも、あの出来事以来、私は本業に本気をぶつけていくように心がけた。

あれから23年が経った。私は38歳の時に会社から独立し、今は自身でライフスタイルブランドを経営している。この数年はオンラインショップも駆使し、店頭が苦しい時期も何とか生き残れている。今でも麗華さんが言った言葉が忘れられない。ちゃんと服を着ることができていない奴に、本気など宿らないという強い表現。強い野望。あの衝撃が、私を夢に向けて押し出してくれたように思う。

すっかり渋谷で遊ぶことはなくなって、店の前も通らなくなった。ふと、あの頃のような甘い蜂蜜菓子のような匂いを感じて、クラブは今もあるのだろうかと覗きに行ってみた。カラフルな電灯で作られた古めかしい看板は消え、クラブは潰れていた。検索してみたら、5年前に閉店していた。あの時、本気で働いていた彼女たちは、今どこで何をしているのだろう。でも、きっと真摯に何かと向き合っている気がする。

私は首に巻いたスカーフをきゅっと絞って、歩き出した。

造花

【掲載商品】
■TOBALI
「ユース ドリームス オードパルファン」
50mL ¥14,850
TOBALI株式会社
Tel. 050-3786-2888
https://www.tobali.jp

美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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