CheRish Brun.(チェリッシュブラン)

好きと心地よいがつくる、私らしく楽しい暮らし

扇情のイニシエーション

パルファン・ロジーヌ パリ

六月の雨の夜だった。私は事務所の灯りを消し、壁の姿見を一度軽く押してから横へスライドさせた。この先は武器と現金と、人に見つかっては困るデータが入ったディスクやカードなど、保管庫として使っている部屋だ。私は保管庫をまっすぐ横切り、キャビネットの上置いたスピーカーのスイッチをONにした。保管庫の照明が灯り、男女複数人が会話している声がリピート再生される。中に誰かが居るように見せかければ、簡単には侵入されないからだ。

「開く、開けば、開く時」

私がその言葉を言うと、声紋とキーワードでロックが解除され、窓際の壁が少し動き、人間一人が入れる程度の隙間が生まれた。私はそこに身体を滑り込ませる。ようやくプライベート空間だ。飾り棚に置いたロジーヌの香水を手に取り、ひと吹きした。グリーンなハーバルノートに、ローズエッセンスがメタリックに煌めく。

港区に位置するこのビルは10階建てで、基本は企業がレンタルオフィスとして入っている。1フロアに3部屋の作りになっていた。部屋と言っても1室が10人程度のオフィスとして使えるくらいの広さだ。私は10階をフロアごと買い上げ、3部屋すべて中から行き来できるように繋げる仕掛けへリフォームしていた。もちろん表向きには、3部屋に別々の会社が入っているように見せている。保管庫を中央にして、右に私の自宅、左に事務所がくるようなコの字の形で3部屋は繋がっている。登記上、自宅は別の住所にしていた。誰かが私を探そうとしたら、まずは事務所(このフロアの1室)か、別住所の自宅に向かうだろう。すぐに本当の自宅を襲われる心配は少ない。

こんな面倒な仕掛けをしているのは、私が特殊な調査会社「CRUEL CYAN」、通称「CC」を運営いるからだ。以前はフリーのジャーナリストをしていた私は、表参道の地下に政府が人体エナジーの実験場として作った、通称 “サロン”の事件に巻き込まれた。当時の主要関係者はほぼ命を落とし、今は存在しない。サロンに通っていた大手企業のTOPたちも全員、人体エナジーの副作用とのちに分かった細菌性髄膜炎症で半年~1年後には死亡した。

事件後、一旦は元の生活に戻った私だったが、すぐに自分が監視されていることに気づいた。サロンに関係する記事はどのメディアでも却下された。圧力に負けるものかと度々アタックしていたことが「厄介者」の印象を与えてしまったため、私の取材記事はやがてどのメディアからも断られるようになり、次第に仕事を失っていった。じわじわと絞め殺すような、圧力だった。もちろん今の時代は、SNSやyoutubeや自分の意見を縛られず発する場所がある。まさかそのすべてを操作され、言論の自由、存在の否定にまで至るとは思わなかった。サロンに関わってきた奴らの絶大な権力を感じずにはいられなかった。

来月の家賃ももう払えないほど追い詰められた頃、とある公的機関の人間2名、私を訪ねてきた。どちらも地味ながら、決して安くないスーツを着ており、目の奥は一切笑っていなかった。大きな力に属している自信が感じられた。

「前野さん、あなたは“本当に不審死させる”には勿体ない逸材なんですよ。」

「ついに、不審死に見せかけて殺すことが決まったという訳ね。」

「えぇ、我々の関連機関と言いますか、親機関はそう判断しています。しかし、我々は違う。あなたに利用価値があると考えています。あなたはあの“サロン”から無事帰還しました、まぁ、サロンごと破壊されましたが、どういう造りであったか、何が問題だったかなど、詳しく知っている数少ない生き残りとも言えます。このまま殺されるのは勿体無い。どうせ死ぬのなら、我々と共に裏へまわりませんか?」

「サロン再建に向けて手伝えってこと?」

「いえいえ、我々はむしろ逆の立場。彼らに好き勝手にサロンなど作られては、いずれは日本中、いや世界中の権力も彼らは手中に収めるでしょう。若さと寿命を手に入れると同じです。どんな権力者も大金を払うでしょうから。」

「そう、で、前野ひかりは死んで、私は何をするの?」

「ハハ、さすが、肝が据わっていますね。焦らなくても大丈夫です。まずはあなたが原因不明の遺体として、来週都内で見つかる予定です。あなたのご両親はもう亡くなられているし、ご兄弟も居ない。あなたの知名度なら、訃報はニュースサイトにも取り上げられるでしょうから、むしろ拡散されて好都合です。今すぐあなたは荷物をまとめ、私たちが指定するビルへ住まいを移していただきます。これから3週間ほどで、新しい仕事のために必要な準備をしてください。資金や必要なものはすべて、我々が用意します。」

「新しい、仕事?」

「まずは、ある事件に関する情報を集めていただきたい。」

こうして「CRUEL CYAN」は生まれた。名付けたのは私だ。直訳すると残酷な暗い青という意味だが、「狂える思案」を文字っている。秘密裏に生きていかねばならなくなった私にぴったりだ。まともな考えや常識では通用しない世界に来た。

そろそろ眠ろうかと思った深夜1時、ビルのエレベーターが作動したことを枕元のランプが知らせた。といっても、私の居る最上階フロアまでは来られない。事務所の灯りを消すとエレベーターも同時にこのフロアでは降りられないように設定している。しかし、下の階までエレベーターで来て、非常階段で上がってくることは物理的に可能だ。

想定通り、1つ下の9階でエレベーターは止まった。ベッドから出て通路の監視カメラ映像を確認しようとした時、携帯のバイブレーションが振動した。

「ひかりさん、まだ起きてる?もうオフィスには居ないのは、エレベーター乗って分かったんだけどさ。」

電話の声は、うちの調査員だ。一気に安堵が訪れる。

「なんだ、那須くんか。びっくりさせないで。どうしたの?」

サロン事件で一緒に行動した那須は、私がCCを立ち上げる際に誘った。甘い顔立ちで、人を警戒させないような人たらしの部分を持っている。意外と腹黒いところも気に入っている。フットワークが軽いので、CCをサポートしてもらっていた。実際、彼もまともな職にはつけない。私と違い、世間に発信などは一切しなかった彼は命こそ消されなかったが、常に政府監視下にあった。と言っても、日常生活を誰かにずっと見張られている訳ではないが、銀行口座や通話記録などは定期的にチェックされている。何かおかしな動きをすれば報告されてしまうに違いない立場だ。ゆえに、表向きはただのフリーターで、私の保管庫の表札替わりにしているペーパーカンパニーが勤め先になっている。よって、このビルに出入りしていても不思議はない。

「さっき成田に帰ってきたばっかりなんだ。クライアントを1人連れてきた。」

「お疲れ様。でもうちは普通の調査会社じゃないわ。新規相談は受け付けていないの。」

「クライアントという言い方が違ったかな。えーとね、例の件の関係者。まぁ、僕の家に泊めてもいいんだけど、一応女の子だしね。僕、紳士だし。」

「紳士なら泊めても大丈夫でしょうよ。」

「まぁまぁ、そう言わずに。」

那須の軽いノリに私はやれやれ立ち上がると、内扉の移動(保管庫を通るルート)は使わずに玄関から廊下に出て、事務所の鍵を通路側から開け、今しがた急いで外から事務所に戻ってきたかのように事務所の灯りとエレベーターを作動させた。誰に見られている訳ではないが、念には念を…だ。


那須が連れてきたのは、20歳そこそこの若い女だった。自己主張はあまり強いタイプではない。青ざめた白い顔をしてうつむいているが、容姿は整っている方だ。

「で、この子は誰なの?」

「先週セブへ飛んだ時に、現場の部屋に残されていた子の一人。」

「全員解放したんじゃなかったの?」

「他の4人はそのまま解放したよ。僕が部屋に入った時には組織の男どもは皆撃たれて死んでいたし、目にしたことは誰にも言わない代わりに、男どもに撮られた写真や動画は全部破棄するって約束した。でもこの子は、僕に頼みたいことがあるって言って残ったんだ。」

「それで、わざわざここに連れてきたと?」

「今回の案件につながっているように思ったから。前にこの子の親友が、同じリゾートに遊びに行ってから行方不明なんだって。ホテルはチェックアウトした形跡があるけれど、帰りの飛行機には乗っていなかったらしい。結局ミイラ取りがなんやらで、彼女も親友と同じ組織に捕らえられて、結局その場に居た組織の奴らは殺されてしまったし、親友の行方は今もわからない。」

那須は “サロン”の餌食にされた親友を探すために、私に連絡してきたのが最初の出会いだ。自分と似たような境遇のこの子を、思わず見捨てられなかったのだろう。

「分かったわ。今日はもう遅いし、彼女も疲れているようだから、この事務所で良かったらソファー使って頂戴。那須くんは帰って、また明日来ればいい。私も一旦帰るわね。ところで、あなたの名前は?」

「曽根原です。すみません…。ありがとうございます。」

彼女は消え入りそうな声で頭を下げた。

「私は、水野ひかりよ。」

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翌朝、私は ”表向き正規の出勤ルート”(自宅の玄関から出て通路を通って事務所の玄関)で事務所へ向かった。那須が揃ったところで、事情の聞き取りを再開することにした。曽根原の表情も、昨晩よりは幾分落ち着いているように見えた。

「曽根原さん、自分で事情話せる?」

彼女は頷いた。

親友である蓮沼道子は、同じ日本の大学の女友達数人と、そのリゾート地へ遊びに行った。予定は4泊5日だったという。滞在中、何度か連絡もとっていたが、ある日を境に既読にならなくなった。そろそろ帰国しているはずと思ったが、連絡がとれない。いざとなると、彼女の実家の電話番号もわからない。彼女の一人暮らしのマンションを訪ねてみたが、留守だった。同行した友人たちに聞くと、道子は以前からその土地への留学に興味を持っており、旅行中にいいスクールを見つけたため、一旦帰国しすぐにまた現地へ戻ったと言う。

「確かに道子は英語留学したがっていました。ヨーロッパやアメリカは高いから、アジア圏にしようと思うと言っていたこともあります。でも、そんな急なの、おかしい。道子は慎重なタイプなんです。とにかくまずは、道子の行動の時系列をはっきりさせようと思って、何日に帰国して、また戻ったのかフライトを調べようと思ったんです。そしたら、道子はそもそも帰りのフライトに乗っていなくて…。友達たちが乗った便にも、それ以外の便も名前がなかった。」

「一旦帰国したってことが、まずウソだったわけね。」

「はい。それで道子達が泊っていたリゾートホテルがどこだったのか調べて、ホテルに電話をしました。本当に4泊していたのかなって。そしたら、それは本当に4泊していました。予定通りチェックアウトしたって言われました。」

「じゃあチェックアウトから、帰国のフライトまでの間に、道子さんは消えてしまったと。」

「そういうことになります。私は道子に同行していた友人たちに、もう一度同じリゾートに行こうと誘いましたが、就活や卒論を理由に断られました。それで、高校の頃の友人たちを4人誘って、彼女たちに事情は話さず、とにかく現地に向かったんです。」

そのリゾートホテルの中は、大きなプールが人気だった。暑い日差しと、湿気のある気候で、冷たいプールに入りながら海も眺めるアクティヴィティが有名だ。友人たちも当然プールに入りたがった。曽根原は、道子のことを従業員に聞けないかと写真を持ち歩いていたが、プール周りのスタッフは皆「わからない」の繰り返しだった。

2日目の昼間、また全員でプールに居るとアジア系の若い男性たちに、一緒にボールで遊ぼうと声をかけられた。皆引き締まった身体をしており、日本語も上手だった。友人たちも最初は少し警戒していたが、親しくなるにつれバカンスの恋かもしれないとテンションが上がっていった。

3日目は彼らが街を案内してくれるというので、友人たちはホテルの送迎車でモールへ向かった。曽根原はおなかを壊したとウソをつき、日本で調べておいた英会話スクールをタクシーで周ることにした。道子の写真を見せながら、しらみつぶしに当たったが手ごたえは無かった。

4日目、何の手掛かりも得られないままだ。焦った曽根原は、その日も仮病を使いホテルに残り、清掃スタッフなどへ聞き込みをした。そもそもホテル内には手掛かりがないのかもしれない‥と諦めかけていた時、夕食時、友人の一人の話に驚いた。プールで出会った男たちは、このリゾート内で一般棟とは違う特別なエリアに部屋に滞在しているらしい。特別なエリア…、何かヒントがあるかも、いや道子もそこに居るかもしれない。友人たちは今夜、その部屋に招待されたと言う。曽根原も着いていくことにした。

「なるほど、それが那須くんに行ってもらった案件につながるわけね。」

「僕が小さい物音で気づいて彼らの部屋を覗いた時には、男は3人とも撃ち殺されていたよ。女の子たちは5人とも、薬を打たれてぐったりした姿で、頭から黒い布を被せられてた。」

「男たちを撃ったのは?」

「売られた子の身内だと言っていた女が銃を持っていたけど、僕は撃った現場に居なかったから正確には分からない。サプレッサーの銃使っていたし、ガタイのいい男たち相手に争った形跡もなかったから、犯人は素人ではないとは思う。その女が逃げる前になんとか捕まえて話したけど、彼女はハムだって言ってた。」

彼らを撃ったのが公安のはずはないという言葉を私は飲み込んだ。那須は知らないが、この調査そのものが公安からの依頼事案だからだ。私たちと同時に彼らも動いているということは、彼らは私を全面的に信用はしていない証拠。恐らくその女は那須を監視していたか、私たちより先に手に入れたい情報が出てきたとき横取りするために派遣されたのではないか。なぜ公安がわざわざ那須に捕まって正体を言ったか?これは私への伝言か。勝手にはさせないと。私は彼らにとって都合がいい手先でしか無い。最初から対等じゃないという警告に思えた。ま、いずれにせよ、気分は良くないわね。

「あの…、お手洗い借りてもいいですか?」

「えぇ、あの奥よ。」

曽根原が立ち上がった。深くやわらかい香りが漂った。私は頭をめぐらせる。ローズアブソリュートに、シナモンやはちみつ、そしてイリス。意外だった、おとなしい印象の曽根原が、これほどセンシュアルな香りを纏っているとは。

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那須は、そんな私の様子に気づかぬまま話し続ける。

「道子さん、見つかりますかね…。もう日本に渡ってきているとしたら難しいのかな。」

「あの下っ端たちを吐かせるか、行動をつけていきたかったんだけどね。まさか現地で抹殺されるとは。彼らって那須くんの存在に気づいていたと思う?」

「だったらもっと僕に警戒するか、逆に襲ってきたんじゃないかな。」

おや?と思う。戻ってきた曽根原が洗練された印象に変わっていたからだ。

「顔でも洗ったの?」

「いえ、顔は朝洗ったんですが、今はピンクのリップを塗りました。お二人に色々お話したら少し安心して…道子がまだ見つからないのに、不謹慎ですよね。」

「いいんじゃない?元気がなければ、見つかるもんも見つからないわ。」

那須はニヤニヤしながらこちらを見ている。

「ひかりさん、女の子がリップ塗ったかも気づかないなんて、女子力僕以下なんじゃない?」

私は無言で那須を睨みつけると、上着を手に持った。

「さ、朝食でも食べながら、これからのことを相談しよう。曽根原さんはしばらくこの事務所で寝泊まりしていいわ。」

私のような強いタイプがフレッシュでキラキラした香り、曽根原のような子が深くてセンシュアルな香り。女性はこれだから、見た目だけでは分からない。まずは、那須が掴んだ公安の女が実在するのかどうか、蓮沼道子が日本に戻ってきているのかどうかを調べるところから始めてみよう。昨夜とはうって変わり、晴れやかな空を見ながら、私は深呼吸した。

(続く)

パルファン・ロジーヌ パリ

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株式会社フォルテ
Tel.0422-22-7331
http://www.forte-tyo.co.jp/

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Author's Profile

美容ジャーナリスト/香りのストーリーテラーYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、
香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、
化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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