CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

いのちの揺蕩(ようとう)~Vol.2

魔法の香り手帖
ユヌ ローズ

※前回Vol.1はこちら
https://cherishweb.me/50493


此処に来て、およそ3か月が経ったと思う。[思う]というのは、正確な日付が分からないからだ。カレンダーも無い、携帯も無い、外の情報は何ひとつわからない。来たばかりはそこまで苦痛ではないが、やがて、恐怖、絶望、そして無が訪れる。無になった人はコアの中に入れられ、二度と出てくることはなかった。それは死なのか、或いは外へ出られたのか、僕にはわからない。彼らは叫び声も上げないし、暴れたりもしない。

黒いスーツの初老の男性のことを、皆「フジムラさん」と呼んでいた。本名ではないだろう。僕たちが暮すエリアは、陰影のある薔薇の香りがしていた。どこか土の気配もあり、豪奢な薔薇は[コア]が並ぶエリアの香りの象徴でもある。フジムラさんは、僕たちが生活する上で必要な要望をすべて叶えた。食事は好きなものを好きなだけ頼んで良いし、毎日好きな時間に風呂に入ることは出来た。髪も切ってもらえ、髭を剃ることもできた。ただ外に出られないのだ。外との連絡は全て遮断されていた。

男たちは大体7名で調整されていた。僕も含め、おそらく全員20代だろう。見た目の審査でもあるのだろうか。整っている子ばかりだ。一人[コア]に入れられれば、一人補充される。どんなに美味しいものを食べて遊ぶように暮らしていたって、次は自分かという恐怖が次第に人を狂わせていく。どうしても叶えられない脱出に絶望し、やがて心を失う。

どのくらい自分が持つか、これは挑戦だ。


「前野さま、足元にお気をつけください。まだ動かずに。」

私はその言葉にハッと我に返った。黒く遮光性のある重厚な自動扉を開けた時から強い香りがして、歩いていた間の一瞬の記憶が抜けている。そして、少しグラッとした自分の足元を見てすくんだ。一歩でも踏み出せば、暗い水の中に落ちるところだった。辺りは非常に暗く、照明も無い。水の底は真っ暗で何も見えない。

「さぁ[コア]が来ましたよ。」

案内してくれた黒いスーツの初老の男が、水に浮かぶ大きな貝のような銀色の物体を誘導してきた。物体は、人間が1人入ることができるくらいの小型の機械だった。ふと、自分が何も持っていないことに気づいた。

「すみません、私の荷物は?」

「サロン内には持って入っていただくことができませんので、通路のゲスト用ロッカーに入れさせていただきました。」

カメラやスマホも荷物の中。写真に残すことはできない。

「この中に入るとどうなるんですか?泉さんは?」

「両足を抱えて胎児のような姿勢で眠っていただきます。大体1時間ほどで終わります。こちらは体験用のコアでして、泉さまは奥の方のリピーター様用コアに入っておられます。そちらは薔薇の蕾の形をしております。皆様、胎児に戻ったように眠られることで、日常生活では感じられないリラックスを得て、リフレッシュされるのでございます。目覚められたときには、活力が漲っていることでしょう。」

「必ず出てこられるという保証は?」

暫しの沈黙が訪れた。

「前野さまは、私が何歳だとお思いですか?」

「そうね、60代後半かしら。」

「ありがとうございます。」

「ということは、もっと上?」

「87歳です。それが[コア]の力です。」

再び沈黙が訪れた。

この男の言っていることが本当ならば、[コア]というのはすこぶる若返る機械ということになる。

「どこか組織がかんでるの?」

「組織と言いますと?」

「ヤクザや、海外の犯罪組織よ。または政府。」

「とんでもない。我々はサプリメントとエステを組み合わせた機械を提供しているだけで犯罪ではございません。」

「バカ言わないで。87歳の男が60代に若返るエステがある訳ないでしょう。」

「此処にはあります。ただそれだけのことです。」

「きっと大金を払うんでしょう?だから、有力者しか通えない。」

「我々は対価をきちんといただいて販売しています。前野さま、これ以上おかしなことを言われるのであれば、お出口までご案内いたします。」

「泉さんに会わせて。彼の紹介で来たのよ、挨拶もしないで失礼するわけにはいかないわ。」

「泉さまには、わたくしからお伝えしておきます。」

互いに目を見たまま、私たちは一歩も引かなかった。帰る訳にはいかない。私は、ハァっと大きく息を吐くと、両手をあげて降参のポーズをした。

「悪かったわ。もう変なことは言わないから、泉さんのところへ案内して。」

「あなたが信用できる人間だという証拠を見せてください。」

「そうね。じゃあ、前野ひかりでネット検索してみて。」

「前野さまがいらっしゃる前に、経歴は全て確認済です。」

既に調べられていたとは思わなかった。

「用意周到ね。では、泉さんの会社に仙崎あかねという女性社員がいるから彼女にコンタクトを取って。泉さんの密着取材を依頼したのは彼女よ。」

「では、こちらでお待ちください。」

男は一旦立ち去った。一人になると余計に不気味な場所に思えた。真っ暗な中、足元は水で、一歩踏み出せば落ちてしまう。一定間隔で青白い光を放っているのは貝殻のような[コア]だけ。誰かに背中を押されたら、私は暗い水の底に沈んでしまう。ふと足元に何かが流れついてきた。錆びているが金属製の万年筆のようだった。撮影もメモもできないし、何か証拠を持って帰ろうと、私はそれを拾ってカーディガンのポケットに入れた。

「お待たせいたしました。確認がとれましたので、泉さまのところへご案内いたします。」


灯りのついた通路に戻り、いくつか角を曲がった。道は複雑で、私は自分がどちらから来たか分からなくなった。乾いたコンクリートに濡れた足跡がついていく。

「この先が、リピーター様用の[コア]になります。室内では大きな声を絶対に出さないでください。他のお客さまのためにもお気をつけ願います。泉さまは、もうすぐ出てこられます。では、私はここで一旦失礼します。お帰りの際に、またご案内いたします。」

男はそう言って、去った。重厚な黒い自動扉が開くと、先ほどとは全く違う光景が広がっていた。

ユヌ ローズ

一面に広がっているのは、土だ。香るのは薔薇だ。

足元は、ふかふかとした土が敷き詰められ、ベチバーやパチュリの合間に薔薇の蕾の形をした機械が、いくつも並んでいる。薔薇の色は薄いものから濃いものまであり、一番赤く濃いものがゆっくりと花開いたと思ったら、中から1人の男性が現れた。ゆっくりと立ち上がると外していたメガネをかけ、頭を少し振る。

「泉社長ですね?」

「…君は?」

「社長の密着取材でご一緒させていただくことになった、前野ですが。」

泉の顔は紅潮しており、生命力に満ちていた。肌はツヤツヤとし、瞳は興奮しているようにも見えた。

「あぁ、君か。体験したかい?」

「えぇ。」

先程の貝殻の体験用[コア]の事を言っているに違いない。ここは、話を合わせた方が良いだろう。

「画期的で素晴らしいシステムだと思わないか?」

「本当ですね。社長はどのくらいの頻度で通ってらっしゃるのですか?いつもお一人で?」

私は取材のふりをした。

「月2回ほどだね、人を連れてくることもある。」

「会社の方を連れてこられることもあるのですか?こちらは会費制ですか?」

「部下を連れてきたことはないな。会費ではないが、何回か分をまとめて先に支払うのさ。」

ウソをついている。部下を同伴していたことは確かなのに。泉も信用できる相手ではないということだ。

「まさか表参道の交差点の地下に、こんな施設があるなんて想像もしませんでした。」

「意外性だよ。皆リピーターになるのもわかるだろう。今は男性も美容にこだわった方がいい時代だからね。前野さん、取材のところ申し訳ないが、そろそろサロンが清掃に入るらしくてね。僕は着替えてくるから、自動扉の外で待っていてくれるかな。」

泉は、入り口の脇につながる道へ消えていった。リピーター用のロッカールームでもあるのだろう。泉が消えて、一人になった。施設内を調べる、またとないチャンス。私は少し腰をかがめ、薄暗い中、いくつも薔薇の蕾が並ぶ奥へ向かって行った。土のため足音がしないのも都合がいい。4つほどの蕾を通過したところで、自動扉が開く音がした。私はとっさに蕾の影に身を潜めた。

自分の足音がしないということは、相手の足音も聞こえない。急に近寄って来られたら逃げようがない。じっと息を殺して待っていると、斜め前の真っ白な蕾が機械音を立てて開いた。ちょうど死角になっていて向こうからは私の位置は見えないだろう。さきほど87歳と言っていた男が誰かを連れてきたようだ。「座りなさい」と言って、蕾の中央に誘い去っていった。座った人物が私の方を向いた瞬間、それは仙崎が探していた婚約者の那須であると確認できた。写真で見た端正な顔立ちは変わらないが、無表情で目はうつろだった。ゆっくりと蕾が閉じていく。

閉じてはいけない!思わず私は飛び出したが、開閉をどこでしているのか見当がつかない。咄嗟にポケットに入れていた錆びた万年筆を、慌てて蕾の間に挟んだ。ギィィィィと不気味な音を立て、機械の強さと異物との戦いが起きる。やがて万年筆がパキッと音を立てて割れたが、それと同時に蕾が閉じるのも止まり、電源が落ちた。異物のセンサーでも働いたのだろう。私は折れた万年筆の先だけポケットに仕舞い、蕾をこじ開け中にいた那須の腕をつかみ外へ引き摺り出した。

那須は、呆然とした顔で私を見た。

「フジムラさんは…?」

87歳男のことだろうか。那須の瞳からはボロボロと涙が零れ、嬉しそうな表情と涙と言葉が全て合っていない。マインドコントロールをかけられているようだった。

「あなた幽閉されてたんでしょ?一緒にここを出ましょう。」

「い、行けない。みんなも一緒に。」

「みんな?」

他にも幽閉されている人間が複数いるのか。しかし、私自身、貝のゾーンから薔薇のゾーンまでの道順がはっきり分からなかった上、那須を連れて逃げられるかはかなり怪しい。そこでまずは、フジムラが那須の薔薇の蕾から脱出したことにすぐ気づかないよう、壊した蕾を元の形に戻すことにした。私が隠れていた場所に那須を隠し、待機するように言った。そろそろ着替え終わった泉が私を探している頃だ。

「あぁ、前野さん、良かった。どこに行ったのかと。」

「すみません、トイレに行きたくなっちゃって。」

泉はホッとしたように表情をゆるめ、一緒に出ましょうと歩き出した。

「泉さん、私、あの蕾に入ってみたいのですが、無理でしょうか?」

「え…、いやあの蕾は、男性しか入れないんですよ。もう取材は終わりです。さぁ、通路に出て。」

私は急に泉に無理やり肩を抱かれ、自動扉の外に連れ出された。追い出さんばかりの勢いだ。

「ちょっと、触らないでよ!」

通路に出た瞬間、フジムラが立っていて私はハッとした。

「泉さま、引き渡しありがとうございます。」

「彼女、中を調べた可能性があるから、後で点検した方がいいかもよ。」

そう言うと、泉は私の身体をフジムラの方へ突き飛ばした。

「前野さん、トイレに行っていたと言ったね。この中にはトイレなんて無いんだよ。特に[女性トイレ]はね。僕らは怪しい人間を同伴するわけにはいかないんだ。ここを守るためにね。じゃあ後は、フジムラさんよろしく。」

「泉さま、また再来週お待ちしております。」

泉はスタスタと通路を歩いていき、私はフジムラと取り残された。気まずい沈黙が流れる。

「やはり、あの時にお帰りいただくべきでしたね。処分せねばならないとは、仕事を増やさないでいただきたいものです。」

処分…?!フジムラは右手に小回りが効きそうな斧を持っていた。

殺される!私はフジムラを突き飛ばすと、尻もちをついたフジムラの右手に折れたペン先を思いっきり突き刺した。フジムラの悲鳴を背に、私は再度自動扉を開き飛び込んだ。室内では大きな声を出せない。ということはフジムラも大声は出せまい。

私が土の上を這い出すと、目を血走らせたフジムラが扉を開き走り寄る。私の頭の上で斧を振り上げた瞬間、凜とした声が響いた。

(次回へ続く)


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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