CheRish Brun.|チェリッシュブラン

私のごきげんな毎日

0時を過ぎたヴァイオレット

魔法の香り手帖

0時を過ぎたヴァイオレット

―来客―
「ヴァイオレットのことを話す前に、幾つかのファクターに触れねばならない。

まず、不思議と誰も彼女を憎んだり恨んだりしない。従順で温和な女性だからではない。理知的で、考えの上で奔放な行動をとるせいか、寧ろ人を惹きつける。

次に、彼女は期待通りのことはしない。世界中を飛び回っているからね。君がこんなに会いたいと願っても、それが叶うのはきっと意外なタイミングだろう。

最後に、彼女の足跡は全て、ある痕跡から辿ることができる。それは…」

教授はハッと口をつぐむと、慌てたように庭園へ背を向け敷地内へ急き立てると扉を閉じた。紫色の花だけが咲き誇る塀越しに、強いまなざしと、漂う煙を感じたのだった。

此処アヴェロンの別荘はオフになると家族で訪れていた場所だ。ゴツゴツした岩の橋を渡り石の階段を上がりきると、中世の街並みへ迷いこんだかのような錯覚に陥る。美しいけれど、どこか無骨な所を感じる街だ。

教授がすっかり黙りこくってしまったため、また日を改めて聞き出すことにし、今日は諦めた。こんなことを何年も続けている。

石階段を昇り室内に入ると、逆光にすらりとした誰かの後ろ姿が見えた。背後で教授が息をのむ気配。

細くくびれたウエストに左手を当て、右手に持ったパイプから煙が立ち昇る。彼女がパッと振り返り、私たちを見て笑顔をこぼすと同時に、可憐なすみれの香りが空中に舞った。からかうようなローズとラズベリーのエッセンス。

あぁ、噂のヴァイオレット。やっとあなたに会うことが出来た。


―エロイーズの場合―
彼女のことはいろんな人が聞きに来たわね。

でも私の知っていることは何度も話した通りよ。正直評判の良い女じゃなかったわ。新入りのくせにあれこれ人に指図して、元から居たお局たちは激怒よ。まぁ、私は少しそれが面白かったりしたのだけれど。どこか皇女のような品もあったから憧れる子たちも居たくらいよ。

ある時、顏を真っ赤にして彼女を罵るお局たちを見て、私は下を向いて笑いをこらえていたら、ふと彼女と目が合ったのよ。バチンと音がしそうな程のウィンクは、今でも心に残っているわ。

そうね、彼女は2週間くらいでさっさと次の仕事を見つけて出て行ったの。何に対しても深入りすることをしない浮草のようなところがあって、忘れた頃に連絡をくれることがあったわ。他愛もない話をして、最後に必ずこう言うの「秘めた恋は、すみれの香りがするわね。」って。私はそれを聞くと、何だか急に寂しくなってしまって「ヴァイオレット、どこへ行ってもあなたらしくね。」と言うのが精一杯だったわ。あら、すみれのキャンドルが燃えすぎているから、ちょっと消してもいいかしら。

ねぇ、ところであなたは記者?それとも警察?
ヴァイオレットが誰を殺したんですって?

0時を過ぎたヴァイオレット


―I miss Violet―
時計が0時を知らせる頃、夜闇に佇む一艘の船へ乗り込む女の姿があった。
白いドレスの裾がオパールのように、色とりどりぼんやりとした光を醸し出す。

このまま連れて逃げてしまいたい衝動に駆られる。いや、私にそんな勇気はないさ。約束通りに彼女を当局へ引き渡さねば。

彼女は後悔することは無いだろう。自分が正しいと思った道を歩いているだけ。そういう女だ。あの日、彼女は自分の正義のもと、1つの罪に手を染めた。罪を隠すため多くの犠牲を生み続けた。愛するものを守りたい一心で。

彼女は裁かれねばならない。

もう二度と、この地を踏むことはないだろう。死の前に特別な恩赦が適用されたのは、今日1日だけなのだから。

「ヴァイオレット、君はまた僕を置いて行ってしまうんだね。
君が発つ前からもう寂しいよ。」

教授はハットを強くかぶり直し、ステッキに施された銀細工を撫でると、しっかりと前を見た。

ゆっくりと船が出て行く。闇の中で彼女は薄い掌をそっと拡げ、顏の横に掲げた。さよならの合図だ。君とあの子はこの先関わる事は無い。母親を知らず育っていくのだ。君は海外に住む豪奢で素敵な叔母、ヴァイオレットとして。

ヴァイオレットの心を映すように、暗い水面が漣みだつ。
水面を照らす月の光は紫色の吐息で曇る。
彼女の行くところにはヴァイオレットが香る。

0時を過ぎたヴァイオレット


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美容ジャーナリスト香水ジャーナリストYUKIRIN
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。
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