魔法の香り手帖

黒い螺旋階段、男と女

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黒い螺旋階段、男と女

螺旋の交わる瞬間、視線がぶつかった。

女は、男の考えていることを読み取ろうと、素早く頭の中で計算する。表情ならば幾らでも繕える。指先から靴先、耳の色、襟の汚れ…些細な仕草も見落とさない。やがて心の中で満足感を得て、胸元に輝く美しいブローチ「ツバメと少女の横顔」をそっと撫でる。

男は、なぜこの女が今ここに現れたのだろうと考える。心の中で繰り返し問いかけ、視線を逸らす。どこかにヒントがあるはずだ。彼女と出会い別れるまでこの数日間をプレイバックする。手の中に握るは、香りの物語が詰まった美しい小瓶「ル・パルファム」。狙いはこれか。

女は赤いドレスの裾を捌きながら螺旋階段をゆっくり下る。男の傍まで近寄ると、ダリアの花のようにゆっくりと微笑みを開きながら、彼の耳から吐息を脳裏に差し込むように囁いた。

「このブローチのメッセージ、知ってる?」

瞬間美しさに気をとられた男の手から、小瓶を一気に奪い取ろうとした。男が慌てて女の手を払いのけた瞬間、小瓶は宙を飛び黒い螺旋階段を弾みながら転げ落ちていった。

黒い螺旋階段、男と女

やがて地面に触れる瞬間、その蓋がゴトリと開いた。蓋に模された「マスク・ド・ファム」が自由を求めて開かせたか。同時に小瓶から、様々な香りの物語が煙のように空中へ散ってゆく。ベルガモット、ピンク・ペッパーコーン、ジャスミン、ヘリオトロープ、パチョリ、トンカビーン、サンダルウッド…。

最後にバニラが緩やかに辺りを包むと、螺旋は反応し永遠と伸び始め、段の遥か下から誰かの呟く声が聞こえた。誰かのアナザーストーリーが始まる。

“さよならは 再会の約束”


浅黒い胸にじわりと湧いた汗のしずくが滲んでは垂れる。
彼はいつも遠くから私を見ている。濡れた黒い前髪がその眼差しを妨げ、草叢の向こうに潜む獣のように視線を射る。

不躾なまでの好意、胸を貫く甘い疼痛(とうつう)。静寂が森を包めば夕映えに本音が流れ出す。嗚呼、一度でいい。彼に触れたい。

明日、この国のため一人娘の私が差し出される。別の種類の”獣”に骨の髄までしゃぶられたところで、国を守れる保証は無い。今にも千切れそうな糸の上で綱渡りをしている。それでも渡らねばならない。

彼女は古めかしい大きな鏡の前にそっと立ち、豊かな黒髪をそっと持ち上げ器用にくるりとまとめあげ、その中に小さなナイフを隠した。手にした香水を白い首筋と肩に吹き付ける。柔らかいリネンのようにムスクが彼女の肩を抱く。夜風は禍々しく微笑む。

決意の夜明けがやってきた。
まだ暗いうちから城外には白い旗がはためく。森からみずみずしいカシスの香りが風に乗って広がり、人々は神聖な想いで王女を待つ。この扉を開ければ、もう戻ることはできないだろう。門出に鐘の音が鳴り響く。

黒い螺旋階段、男と女

彼女は髪の内側からナイフを取り出し、艶やかな黒髪を一気に切り落とした。御付きの女中たちが声にならない悲鳴をあげる。バサリと床に落ちた髪からバニラの残り香が立ち昇った。

残り香はなまめかしい蜃気楼を呼び起こさせた。あの男は現れるだろうか。私の腰を浅黒い片腕で抱えあげ、馬に飛び乗り連れ去るだろうか。私は決して後悔しないだろうか。嗚呼、早く駆けよ。いや、これ以上迫るな。

La Cautiva!自由と哀しみの合図。
彼女の首筋から一筋垂れたのは、涙か汗か。または香りか。


1滴の赤い雫が空から垂れ、彼の額に落ちた。

何処か遠い世界で、確かに彼女は自分を必要としていた。互いに見つめ合い、魂が求めているのに拒絶するのは何故だろう。ここからは来ないでと、奈落の底へ突き飛ばされたのは夢か幻か。

向かいの赤壁の部屋では、同じ顏の女たちが背筋を伸ばし一定のリズムで食事をしている。彼の斑(むら)の無い美しい肌からバニラやムスクが漂うと、女たちは香りに反応し一斉に食事の手を止め、こちらを見た。一瞬の静寂。

黒い螺旋階段、男と女

次の瞬間女たちは赤い唇を歪ませながら、次々に彼へ襲いかかった。突き飛ばされた女たちは笑いながら倒れたかと思えば突如ファウストへ姿を変え、ひばりが如く軽やかに飛び上がった。無限へと広がりゆく力をもって、人々の欲望を赤いボトルへ返してゆく。

横たわる吐息の涅槃。あの時の君なのかい?
この手をとってくれ、さぁ踊ろう、愛憎の輪舞(ロンド)を。


【掲載製品】

ラリック・パルファム 「ル・パルファム」50ml ¥13,000+税 / ジーケージャパンエージェンシー tel.0120-580-336

FUEGUIA 1833「ラ・カウティーバ」100ml ¥23,000+税 / FUEGUIA 1833 東京本店 tel.03-3402-1833

■ダンヒル「ダンヒル デザイア オードトワレ」100ml ¥9.800+税 / インターモード川辺 フレグランス本部 tel.0120-000-599

著者プロフィール

YUKIRIN
YUKIRIN美容ジャーナリスト/香りのストーリーテラー
ナチュラルコスメとフレグランスのエキスパートとして、
「香りで選ぶナチュラルスキンケア」や、「香りとメイクのコーディネート」など提案する他、
香りから着想される短篇小説を連載中。

媒体での執筆・連載の他、
化粧品のディレクション、イベントプロデュース、ブランドコンサルティングなど幅広く活動している。

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